前回岡田以蔵の墓所に立てられていた画像を以蔵の顔として紹介しましたが
海援隊の近藤長次郎でした

しかし何故?


武市半平太率いる
土佐勤王党にも所属し
江戸にも同行し
勝海舟の用心棒もつとめ
剣術の腕前は相当なモノだった様です
しかし最初の暗殺は
武市半平太に命じられ
土佐藩武士「井上佐一郎」を
絞め殺す事となった
その後天誅の言葉の下
攘夷派志士は頻繁に暗殺を繰り返し
土佐勤王党が関わる殆どに
以蔵は参加していた

京都二条城で捕縛され
遠丸籠で土佐藩へ移送され
激しい拷問の上
巧みな誘導尋問で
自白

武市半平太から
アホウと呼ばれていたほど
思慮が無いとされ
自白する前に
毒殺も計画されていたらしい

土州無宿人刺青者
「鉄蔵」として
同士と共に打ち首の処刑が
ただ一人晒し首になった


本当の岡田以蔵の顔や如何に?

前歯が出っ歯?だったらしい
以外の人相に関しての情報は無い

岡田以蔵の生まれた町



その周辺の地図



実家の目とはなの先で処刑






哀れなり
英雄気取りて
捨てられて

ガーンガーンガーンガーンガーン

家飯の
だし巻き玉子に
大根おろしは
久しぶりでした


マンション前に咲いた小さな花