明治天皇がお泊りになった所
昨日、再撮影に走った成田街道(国道296号線)
大和田の地に、このような大きな石碑が立っていました。
あんざいしょ
『明治天皇行在之処』とありました。
明治6年、大和田が原で陸軍の演習が行われ、明治天皇の行幸がありました。
<明治神宮聖徳祈念絵画館蔵の習志野之原演習行幸の図より>
<習志野之原演習行幸の図の天皇のお立ちになった場所に立てられた碑>
現在は、薬円台の郷土資料館の敷地に立つ『明治天皇御駐蹕之処』の碑
この演習をご覧になった明治天皇が、この地を『習志野原』と命名された。
<戦後、この『明治天皇御駐蹕之処』の碑のところで乳牛を飼う、開拓者の写真>
現在の「習志野台4丁目」のみゆき町会の会館のあたりに立っていたのだそうです。
そして、この演習をご覧になった明治天皇がお泊りになったのが、
冒頭の写真の大和田にある『明治天皇行在所』の記念碑のある場所
即ち、大沢小十郎邸なのである。
たぶん、当時としては、豪農であり、大きな邸宅を構えたお宅だったのであろうし、明治天皇がお泊りになるということは、たいへんな名誉なことだったのであろう。
しかし、何回かの行幸(演習だけでなく、成田への行幸時も)で、お泊りになる度に、大沢家では、湯殿や厠を新築しなければならなかった。
2~3年おきに行幸があり、その度に、湯殿や厠などを新築していった大沢家は、その後没落してしまったようである。
そこで、現在は、このような記念碑のみが立っているのである。
確かに、明治天皇がお泊りになられるということは、名誉あることではあろうが、明治政府も酷なことをしたものである。
御幸が度重なるようならば、この演習地付近に、天皇の宿泊できる施設を作ればよいものを、と、この記念碑をみて、感じました。