もうだいぶ日が経ってしまったけど、10月30日は母の一周忌だった。
一年前の母との日々は一生忘れられない。
10月5日が私の誕生日で、母と一緒に過ごすために帰省したけど、もう具合が悪くて病院で待ち合わせ。母は苦しそうに、「おめでとう、散々な誕生日になっちゃったね…」って言って![]()
それでも、何かプレゼントをと思って必死で買い物に行ってくれたようで、家に帰ってから、これは本当のプレゼントじゃないけど、後でもっとちゃんと買うからね、ってHotmanの部屋着とタオルをくれた。不思議なチョイスではあったけど、あんな体調で選んでくれたと思うと、悲しくて辛くて。結局それが母からの最後のプレゼントになった。見るたびに心臓がギュッてなる![]()
服やアクセサリー、バッグ、靴…母は自分のものは買わずに、私にだけ惜しみなくたくさんプレゼントしてくれた。母との買い物が一番楽しかった。もう2度と一緒に出かけられないから、母の死後、デパートを歩くのが辛くなってしまった。
誕生日の翌日も、ほとんど横になっていて、時々私のピアノを聴いてくれた。たぶん、最後だと思って聴いてくれてたと思う。
その日の夕方、あまりに吐き気がひどすぎて、迷った挙句、タクシーで大学病院へ。我慢強い母は、タクシーの揺れに耐え、救急の処置室へ運ばれていった。かなり長い時間待合室で待機した後、看護師さんから、危険な状態で家には帰れないと言われた。一緒に過ごすために帰省したのに、病室に付き添いも許されず、とても寂しく悲しかった。
入院の手続きをする間に、救急の医師に初めて母の余命を尋ねた。まだ若い女医さんで、言葉を選びながら、「病気の勢いが強く、おそらくあと3ヶ月程度かと…」と。
夜の病棟で、一人で余命宣告を聞いた時、いま一人で良かった、と思った。誰にも邪魔されずに静かに受け止めたかったから。本当は誰か頼れる人に横にいて欲しかったけど、私にとってそういう存在は母だけなので。
その後、母は退院できないまま急激に弱っていき、結局一月も経たずに逝ってしまった。コロナで会えない日が長く、最後の10日間だけ私が付き添った。
せん妄もあったけど、最後まで私のことを心配してくれて、最後の最後まで大好きな最高のお母さんだった。
母の癌が判ってから、いろんな方の死別ブログを読んで、グリーフケアのことや、その後の過ごし方について、自分なりに心の準備をしていた。一番大事な、半身のような存在を失ったら、どうなってしまうのかすごく不安だった。
私の場合、母の死から一年経ってみて、寂しい気持ちは何一つ変わらない。時間が経って楽になることは今のところなくて、むしろ、神経が麻痺していた去年に比べて、今の方がダイレクトに悲しみを感じているかもしれない。
でも、だからと言って気が狂ってしまうわけでもないし、朝辛くて起き上がれないわけでもない。母とのたくさんの時間、母が残してくれた言葉を支えに生きてる。
「ママがいなくなって、最初は少し寂しいと思う。でも、さーっと時間が過ぎていって、ああそうか、って思えるようになるよ。ただ過ぎていくだけなの。本当だよ」って母の言葉。あまり救われない表現だけど(笑)でも真実だなと思う。
ママの言う通り、さーっと時間は過ぎていくね。
でも少しじゃなくて、ものすごく寂しいし会いたいな。おしゃれしたら真っ先にママに見せてたのに、旅先ではすぐに写真送ってたのに、どんな些細なことでも、エンドレスで喋って笑ってたのに…
やっぱり、まだまだ寂しいです😞外では全然そんな素振りも見せずに元気に振る舞ってるけど、時々こうして気持ちを書き出していると、とめどなく泣いてしまいます。
これも死別を乗り越えるのに必要な過程かもしれないですね。