毎月30日は母の月命日。私の近所に納骨したので、行こうと思えばいつでもお参りに行ける。


お墓とは違ってお線香もお花もお供えもできないけど、静かな気持ちで母に話しかけに行くだけでも、少し心が慰められる。


10月でもう三回忌がくるのに、いまだに母を亡くした状況を持て余している。どう考えれば良いか分からないというか…


たとえば、お骨のあるところに母はいるのか、写真に話しかければいいのか、それとも形見の指輪を母だと思えばいいのか。


本当はもうどこにもいないのかもしれないけど、そう思ったら生きていけないし、それは違うと思いたい。


心の中で話しかけたら返事してくれる気がするし、本番のステージでは近くにいて応援してくれてるのを感じる。


去年の11月に買ったポインセチアが今も枯れずにいてくれて、母の写真の横に置いてるから何となく大切に育てている。初めて鉢の植え替えもしてみた。


母が買ってくれたものは何一つ捨てたくなくて、過剰に思い出の品で身を固めてる感じ。


妹は、4歳になる姪っ子の髪をいまだに伸ばし続けてる。まだ2歳だった当時、バァバがなでてくれてた髪を切りたくないっていう意味で。


いずれは切らなきゃならないだろうけど…このロングヘアが可愛い😍



わりと毎日のように夢で母に会ってる気がするけど、ほぼ毎回病気で辛そうにしてる状態で、あれ、まま生きてる…?でもこれからいなくなってしまうんだよね

って、絶望的な気持ちを繰り返してるのが辛い。

夢でしか会えないんだから、元気な母に会いたい。母とのたくさんの思い出が、どうして最期の闘病生活にこんなに支配されてしまうのか…


数年後はもう少し違う心境なんだろうか。悲しみを理由に腐ってていいわけないけど、いつもどこか無気力。


母の代わりは絶対いないけど、少しそれに近い距離感だったり自分への理解を彼氏に求めてしまったりして、しばしば失敗している。付き合いの浅い他人にそれは荷が重過ぎる話。


彼氏も気の毒だけど、本当に分かってなくて隔たりを感じる。この死別の辛さを理解してくれる人に話をしたくなることもある。


だから時々ここで長々とまとまりなく書いてしまうんだろうな。人前で泣きながら話すよりも、新幹線の車内でこっそり泣きながらスマホ打ってるほうが自分には合ってるみたい真顔