「愛の対象にせよ、物質にせよ、地位や名誉にせよ、すべての所有というものはなんとはかなく、もろく、むなしいものであるかを彼は身にしみて知った。それらを自分が所有していると信じていたとき、彼はそのなかに自分の存在の重みを感じ、それを生きるよりどころとしていた。しかしひとたび限界状況におちいってみれば、すべて外部からとってつけられた所有物は、奪い去られ、彼はまったく裸のままにとりのこされたのであった。-----中略-----このようなところを通ったことのあるひとは、もはや他人に評価や自己の所有するものに重きを置かなくなるであろう。愛の対象すら自分のものと考える執着は、もう二度と持つまいと思うであろう。また自分の心にどれほどかの知識や徳や見識がたくわえられていたようにみえていたにしても、いざというときにはすべてが崩れ去ることを経験したから、もはやそういうものによりかかることもしなくなるであろう。どんな状態に陥っても、どんなところにあっても、人間がふたたびみいだしうるよろこび、それは何であったか。それは人間の内なるものだけではなかったか。」
************
「どのような思想であれ、人間のあたまが考えだした知恵の限界を知ってしまったひとは、人間の抱く理想にしたがって社会改革に努力してみても、その成果の範囲はかぎられていることをはじめから知っている。しかもなおそれを承知の上で理想を思い、社会のためにつくそうとせずにはおれない。それはいわば彼の生きる超現世的な心の世界から自然に流露するものである。従ってそこには自然な何気なさがある。どこか子供の遊びに似た無償性がある。」
*************
「いずれにしても、ひとたびこの世からはじき出され、虚無と絶望のなかで自己と対面したことのあるひとは、ふたたび生きがいをみいだしえたとき、それがどこであろうとも、自己の存在がゆるされ、うけ入れられていることに対する感謝の思いがあふれているにちがいない。もっともささやかな日常のよろこびも、あの虚無の闇を背景に、その光と色のかがやきを増すであろう。陽の光も、木の葉のささやぎもすべて自己の生を励ますものとして感ぜられるであろう。そしてたとえもし現世のなにごとにも、なんびとにも、自分が役に立ちえないとしても、いいあらわし難いあの「瞬間」に、至高の力に支えられているのを感じたならば、その力のなかでただ生かされているというだけで、しみじみと生きがいをおぼえ、その大いなるものの前に自己の生命のさいごまで忠実に生きぬく責任を感じるであろう。たとえもし自分で自分の生の意味がわからなくても、その意味づけすらも大いなる他者の手にゆだねて、「野のすみれのように」ただ大地にすなおに咲いていることにやすらぎとよろこびをおぼえるであろう。」
神谷美恵子