東京-バリ バイク無銭旅行 | 世界珍ネタHunter!

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1952年7月の道路交通法改正により原動機付き2サイクル自転車は 60cc、4サイクルは90ccまで無試験許可制となった。すぐさま各メーカーは60ccエンジンの開発に取り掛かる。スズキも新規制に適合した車両の開発を行ったが、当然時間的な余裕はなく急ピッチで行われ設計に1ヶ月、試作に1ヶ月、テストに正月休みの1週間を充てる慌ただしいスケジュールだった。パワーフリー号の設計を踏襲した 2 作目を「ダイヤモンド・フリー号」と名づけ、1953 年 3 月より市販が始まった。60cc・2 馬力に強化されたエンジンはライバル車の中でも最もパワフルであり、発売当初から月産 4,000 台の好調な売れ行きをみせた。当時、バイクで東京~パリ 47000㎞の無銭旅行を計画していた高橋昭治・雄次兄弟が居る。彼らは数社にバイクの無償提供を打診したが、悉く拒否されスズキだけが彼らの打診に応じてバイクを無償提供したと言う。結果的には、富士登山レースで優勝や日本縦断3000kmの無事故走破達成で月産6000台を記録する爆発的な販売数を売上げた。