走れメロスのメロスが実は歩いていたと話題に・・・ | 世界珍ネタHunter!

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中学生が発表した研究論文では、太宰治の小説「走れメロス」の記述を頼りにメロスの平均移動速度を算出した結果、「メロスはまったく全力で走っていない」という考察に行き着いた。端的にいうとメロスは往路は歩いていて、死力を振りしぼって走ったとされる復路後半の奮闘も「ただの早歩きだった」という。メロスは作中、自分の身代わりとなった友人を救うため、王から言い渡された3日間の猶予のうち初日と最終日を使って10里(約39キロ)の道を往復する。今回の論文研究ではこの道程にかかった時間を文章から推測し、例えば往路の出発は「初夏、満天の星」とあるので0時と仮定、到着は「日は既に高く昇って」 「村人たちは野に出て仕事を始めていた」とあるので午前10時と仮定して……距離を時間で割った平均速度はずばり時速3.9キロ!となり歩行速度と変わらない。メロスは復路の日、「薄明のころ」目覚めて「悠々と身支度」をして出発し、日没ギリギリにゴールである刑場に突入した。中学生は北緯38度付近にあるイタリア南端の 夏至の日の出がだいたい午前4時、日の入がだいたい午後7時と目星をつけ、考察を開始し復路では途中、激流の川渡りや山賊との戦いといったアクシデントがあり、これらのタイムロスも勘案してメロスの移動速度を算出する。その結果、野や森を進んだ往路前半は時速2.7キロ、山賊との戦い後、死力を振りしぼって走ったとされるラストスパートも時速5.3キロと、 思った以上に「ゆっくりしていってね!」な移動速度が算出されてしまった。因みに、フルマラソンの一般男性の平均時速は9キロだと言う。勿論、現代のように道が道らしく整備されている保証は無いが少なくともローマ時代では道路の舗装建設は行われており、建設開始当初の道路は、砂利、もしくは砕いた石の上に砂利や砂を敷き詰めた程度のものだった。帝政期に入り、主要幹線道路は舗装された。その再舗装の作業は絶えず行われていた。街道は異なる地形に合わせて整えられる。素材は地元で採れるものを使うことが多く、何層かに分けて舗装され、金属片さえも用いられた。まず、街道を作る場所を固い地層が現れるまで(1~1.5mくらい)掘り下げて、場合によっては杭などを打ち込み地盤を固くする(①)。その上に、砂利や瓦礫の層を(②)、次に小石と砂を混ぜ固めた層を(③)、さらに砕いた石と土を敷き詰めた層(④)を作る。このとき中心が弓状になるようにして、雨水が排水溝(⑦)に流れる構造を作る。その上に、中心の車道部には一辺70cmほどの多角形の石版(玄武岩など)を鱗状に敷き詰めて舗装する(⑧)。車道の外側(左右3m前後)は歩道とするために石を敷き(⑤)、車道との間には縁石(⑥)を置いた。街道の構造は文献によっても異なっており、時代や地質などによって違っていた。もっとも時代背景的に道路建設初期なのか後期なのか判断する事は出来ない。但し、走る事に適したランニングシューズを履いていないのは確かで、足に掛かる負担は大きく歩行していたとの想像も出来る。他にも色々な足止め要素を想像すれば、算出された平均速度以上にメロスは頑張っていたと想像することも可能。 ちなみに論文の発表者の中学生は、「往路の事でメロスは、結婚式のために色々買ったので、それをすべて持って村に行かなければいけないので、走る事が出来ないので時間が掛かったと思う。でも、遅すぎると思いました」だから『走れメロス』というタイトルなんだなと・・・。

こんな風に論文を発表されてしまうと、国語の教師は授業をし辛いだろうな?改めて考えて見ると3日間の猶予を与えてくれた王様って、意外と温情があったのでは?