放射性物質を使ってのスパイ暗殺疑事件 | 世界珍ネタHunter!

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2006年11月、ロンドンに住んでいた1人の男の死に端を発した事件は、2つの国家を巻き込む大きな疑惑へと発展した。ロシアの元諜報部員の暗殺疑惑から見えてきた水面下での激しい争いと、いまや人ごととは言えなくなりつつある状況が事件からは浮き彫りになっている。リトビネンコが「毒を盛られた」のは、2006年11月1日、ロンドンのミレニアムホテルにある「パイン・バー」での事、店のバーテンダーの記憶によると来店した3人のロシア人のうちスパイ風に見える2人がジンを注文し、もう1人が緑茶を注文し、なにやらイギリスの政策について話し込んでいたと言う。注文の飲み物をテーブルに運んだところ、1人が邪魔するように立ちはだかったため、バーテンダーは戸惑いつつティーポットの脇に飲み物を置いて退散した。3人が帰ったのち、後片付けをしていたバーテンダーは、コップに残っていた緑茶を流しに捨てるたときに不自然なぐらいにドロッとしていたことに違和感を抱いた。だが、このとき彼は知るよしも無かったが、緑茶を飲んでいたのはロシアの元諜報部員であるアレクサンドル・リトビネンコで、緑茶は極めて強い放射能を帯びたものだった。パイン・バーを後にしたリトビネンコ氏は、19時ごろに帰宅。服を着替え、妻のマリーナが作ってくれたチキンをディナーに食べ、インターネットでロシアのニュースをしばら見た後にベッドで眠りに付いた。だが、ほどなくしてリトビネンコは目を覚まし、激しく嘔吐した。その様子にマリーナはパニックに陥ったが、慌てて冷たいタオルを用意し、彼にマグネシウム錠を飲ませました。しかし、よい効果は得られず、リトビネンコ氏は体温が低下しているにも関わらず窓を開けるようマリーナに頼んだ翌日、リトビネンコ氏は病院に運ばれたが、医師は「胃の感染症だろう」と判断して自宅に帰らせました。しかし2日後、病状は悪化。自宅近くのバーネット病院に運ばれたリトビネンコが「ロシアの工作員に毒を盛られた」と主張したところ、医師たちは真に受けず精神科への連絡をほのめかした。結局、医師は食中毒だと判断して抗生物質の投与を行ったが症状は改善せず、リトビネンコ氏は髪が抜け落ちるようになった。それでもなお、医師は「毒物のせいだ」という彼の言葉を無視して、AIDSや肝炎の検査を実施。これにしびれを切らせたのか、11月11日、リトビネンコはBBCの取材を受け、自分が毒を盛られた可能性があること、バーで一緒に寿司を食べたイタリア人マリオ・スカラメッラが事件に関与していることを示唆した。11月12日の朝、リトビネンコの新たな検査結果が出て、放射線被曝こそ否定されたものの、彼の体内に何らかの化学物質が取り込まれ、それが血中に存在していることが明らかになり、医師団はその毒素の特定に取りかかることになった。11月14日、リトビネンコの友人であり政治活動をともにするアレックス・ゴールドファーブが見舞いに来たときには、保護手袋をエプロンを着け、リトビネンコの体には触れないように看護師から注意を受けた。その頃のリトビネンコは、点滴によってなんとか命を保っている状態に陥っていた。医師団は、何か強いものが体の中で作用し、彼の骨髄を破壊し続けていることを感知したが、「率直に言って、途方にくれている」と語るように原因の追究は進んでいない状況だった。
防護服に身を包んだゴールドファーブは、BBCのインタビューで語った「スカラメッラ」の事件関与についてリトビネンコに尋ねた。リトビネンコは「彼は無実だ」と述べ、その発言が意図的なものであったことを語った。リトビネンコによると、スカラメッラに疑いの目が向けることで、真犯人である工作員に「安全な状況」と誤認させ、任務を続けさせるためのトリックだったと言う。水面下で繰り広げられる激しい戦いを示すエピソードだが、リトビネンコにはまだそれに立ち向かうだけの強さが残されていた。数週間後に出された調査結果では、放射性物質であるタリウムの疑いが強いという報告が出された。それを受け、リトビネンコは警察による厳重な警備のもとユニバーシティ・カレッジ病院に移送され、厳重に管理された区域内での治療が開始された。タリウムは無味無臭で検知が難しいという、毒物としては「理想的」な特性を持つ物質だが、原因が解明されると解毒剤による治療が可能になる。しかし、調査に関わった毒物学者のジョン・ヘンリー医師はリトビネンコの状態を目にした時に違和感を覚えたと言う。タリウムによる症状の特徴である筋力低下が見られないことがその理由だった。ヘンリー医師が調査を進めたところ、原因となる物質はタリウムではなく、ポロニウム210であったことが判明した。その後の11月23日、リトビネンコは44歳で亡くなった。リトビネンコは、17歳で当時のソビエト連邦の軍に入隊した。後に諜報機関のKGBに勤務し、ロシア連邦保安庁(FSB)に所属していた。スパイとしての任務を担当し、場合によっては暗殺にも関与していたとされているが、1998年11月に記者会見を行い「知人の暗殺指示を受けたが、それを拒否した」という衝撃の告白を行った。当時のFSBでは、本来の政治的目的とは異なる個人的な利益のために暗殺や犯罪行為が横行しており、これをあるべき姿に「浄化し、強化する」というのがリトビネンコの願いだった。その時のFSB長官は、現ロシア連邦大統領のウラジーミル・プーチンだった。それ以降、リトビネンコの身にはFSBによる圧力が忍び寄り始める。2度の不当逮捕・投獄に身の危険を感じたリトビネンコは、2000年11月にトルコ経由でイギリスに亡命、それ以降はプーチンによる政権とチェチェン政策にきわめて批判的な立場を取るようになる。リトビネンコは英国情報機関の一つであるMI6とも関与があったことが明らかになっている。

ポロニウム210とは?
ポロニウム210は水溶性が非常に高いため、人体への投与が容易という特徴を持っている。11月1日にリトビネンコが毒入りの緑茶を口にした瞬間から、ポロニウムは彼の体を徹底的に破壊し始めた。まず胃の内壁が攻撃を受け、数分で細胞が死滅して崩壊が始まる。次に腸や喉、口などの粘膜にも同様の症状が現れることになる。ポロニウムは胃の粘膜から血中に溶け込み、体中へと運ばれてあらゆる臓器や骨髄、リンパ系を破壊し続ける。強力な放射性物質であるポロニウム210からはアルファ線が放出され、生物の体内に取り込まれると体の内部から内臓を次々と破壊して行く。パレスチナ自治府の元大統領ヤーセル・アラファートが2004年に死亡した際にもポロニウムが暗殺道具として用いられたという説が根強く語られている。ポロニウムの生成には特殊な設備が必要であるために、暗殺の道具として用いることができるのは極めて限られた一部の者であるということが、リトビネンコの殺害には国家組織の関与が疑われる原因ともなっている。現在、ポロニウムを生成できるのはイスラエル、アメリカ、そしてロシアの3か国のみと言われており、そのうちの97パーセントはクレムリンから約700キロ離れたロシア国内にある厳重に管理された施設で作り出されていると言われている。極めて少量で致死量に達し、およそ140日という半減期の短さのために検出が極めて困難というポロニウムが持つ性質から、暗殺の手段として用いられると言われている。