防護服に身を包んだゴールドファーブは、BBCのインタビューで語った「スカラメッラ」の事件関与についてリトビネンコに尋ねた。リトビネンコは「彼は無実だ」と述べ、その発言が意図的なものであったことを語った。リトビネンコによると、スカラメッラに疑いの目が向けることで、真犯人である工作員に「安全な状況」と誤認させ、任務を続けさせるためのトリックだったと言う。水面下で繰り広げられる激しい戦いを示すエピソードだが、リトビネンコにはまだそれに立ち向かうだけの強さが残されていた。数週間後に出された調査結果では、放射性物質であるタリウムの疑いが強いという報告が出された。それを受け、リトビネンコは警察による厳重な警備のもとユニバーシティ・カレッジ病院に移送され、厳重に管理された区域内での治療が開始された。タリウムは無味無臭で検知が難しいという、毒物としては「理想的」な特性を持つ物質だが、原因が解明されると解毒剤による治療が可能になる。しかし、調査に関わった毒物学者のジョン・ヘンリー医師はリトビネンコの状態を目にした時に違和感を覚えたと言う。タリウムによる症状の特徴である筋力低下が見られないことがその理由だった。ヘンリー医師が調査を進めたところ、原因となる物質はタリウムではなく、ポロニウム210であったことが判明した。その後の11月23日、リトビネンコは44歳で亡くなった。リトビネンコは、17歳で当時のソビエト連邦の軍に入隊した。後に諜報機関のKGBに勤務し、ロシア連邦保安庁(FSB)に所属していた。スパイとしての任務を担当し、場合によっては暗殺にも関与していたとされているが、1998年11月に記者会見を行い「知人の暗殺指示を受けたが、それを拒否した」という衝撃の告白を行った。当時のFSBでは、本来の政治的目的とは異なる個人的な利益のために暗殺や犯罪行為が横行しており、これをあるべき姿に「浄化し、強化する」というのがリトビネンコの願いだった。その時のFSB長官は、現ロシア連邦大統領のウラジーミル・プーチンだった。それ以降、リトビネンコの身にはFSBによる圧力が忍び寄り始める。2度の不当逮捕・投獄に身の危険を感じたリトビネンコは、2000年11月にトルコ経由でイギリスに亡命、それ以降はプーチンによる政権とチェチェン政策にきわめて批判的な立場を取るようになる。リトビネンコは英国情報機関の一つであるMI6とも関与があったことが明らかになっている。
ポロニウム210とは?
ポロニウム210は水溶性が非常に高いため、人体への投与が容易という特徴を持っている。11月1日にリトビネンコが毒入りの緑茶を口にした瞬間から、ポロニウムは彼の体を徹底的に破壊し始めた。まず胃の内壁が攻撃を受け、数分で細胞が死滅して崩壊が始まる。次に腸や喉、口などの粘膜にも同様の症状が現れることになる。ポロニウムは胃の粘膜から血中に溶け込み、体中へと運ばれてあらゆる臓器や骨髄、リンパ系を破壊し続ける。強力な放射性物質であるポロニウム210からはアルファ線が放出され、生物の体内に取り込まれると体の内部から内臓を次々と破壊して行く。パレスチナ自治府の元大統領ヤーセル・アラファートが2004年に死亡した際にもポロニウムが暗殺道具として用いられたという説が根強く語られている。ポロニウムの生成には特殊な設備が必要であるために、暗殺の道具として用いることができるのは極めて限られた一部の者であるということが、リトビネンコの殺害には国家組織の関与が疑われる原因ともなっている。現在、ポロニウムを生成できるのはイスラエル、アメリカ、そしてロシアの3か国のみと言われており、そのうちの97パーセントはクレムリンから約700キロ離れたロシア国内にある厳重に管理された施設で作り出されていると言われている。極めて少量で致死量に達し、およそ140日という半減期の短さのために検出が極めて困難というポロニウムが持つ性質から、暗殺の手段として用いられると言われている。



