確かに募集では無く業者の斡旋により鉱夫になった場合「たこ部屋」に入れられ、12時間を超える長時間労働、生命の危険が多い現場への配置がなされ、実際に死亡率が高かった。また、賃金は親会社で正社員として働く者の半分程度であり、強制貯金と斡旋業者のピンハネの結果、手元には僅かばかりの金額しかなかった。
但し、2次3次下請けの仕事をさせられる斡旋業者の仕事とは違い、給与面で優遇されていた親会社の三菱手稲鉱業所が募集した所、応募した韓国人は当時1000名の鉱夫採用に対して7000人の応募者が殺到したために1000人が採用試験を受ける程だった。そもそも当時の朝鮮人は日本国籍を持った国民であり、刑務所の囚人の様に強制労働されるのでは無く仕事の選択権はあった。三菱手稲鉱業所に採用された後の韓国人は、休祭日は自由に街に繰り出し、ショッピングはもとより船遊びまで楽しんだ」との証言があるが、ある学者にこの証言を話した所、この学者は「新聞で読んだ話とは正反対」だとして、実体験に基づく証言よりも、新聞の宣伝を信用した。
