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周波数もそうだが、航空管制本部はこの未確認機について、他にも奇妙な点があることに気づいた。まず飛行速度が遅すぎること、そして高度が低すぎること(悪天候の時には高く飛び、暴風を避けるのが定石らしい)、そしてこの時、この空域を含めたフライトプラン(飛行計画書)を提出していた民間機や軍用機が存在していたなった。問題の未確認機が基地の滑走路、10海里手前まで飛行してきた時、基地のレーダースクリーンにもその機影はハッキリと映し出されていた。彼らとの交信もなんとかうまくいっている。
「現在位置は基地より10海里・・・基地が見えるはずなんだが・・見えない。闇を照らしてくれ。」
未確認機から要求があり、基地側はすぐに全ての非常灯を照らした。これだけあれば、10海里先からでも滑走路が十分確認出来るはずだ。レーダービーコンも機能を始め、レーダー進入管制の準備は十分整っていた。
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しかし一時間後、未確認機は突然スクリーンから姿を消し、同時に交信も途絶えて航空管制本部は騒然となった。
「墜落したのか!?」
これまで順調にいっていただけに、基地関係者に焦りと不安が走る。しかし、機体捜索に行こうにも、これだけの悪天候ともなれば、捜索に行った方が二次遭難する可能性が高い。夜明け前、ようやく吹雪も弱まったころ、無線交信が断絶した未確認機の捜索が開始された。そして開始後から約2時間後、問題の未確認機は発見された。場所はトゥーレ空軍基地から直線距離で約12海里の地点。氷河の上に胴体着陸をしていた。未確認機の正体はアメリカ空軍 ボーイングB-50Dスーパーフォートレス爆撃機・キングバード50だった。そして乗組員は全員死亡していた。
<キングバード50の同型機>
機体は燃料切れにはなっていたが、特にひどい損傷もなく、雪がクッション代わりになって不時着には成功したようだ。そしてこの時点ではまだ乗組員たちは生きていた。彼らはトゥーレ基地が近いことを認識しており、機内にとどまって救助隊の到着を待っていた。しかし捜索隊が到着した時には、機体に搭乗していた乗員全員が亡くなっており、時すでに遅かった。
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キングバード50の機内の調査をしていた捜索隊の指揮官エドガー・バーネット大尉は、この爆撃機に搭載されていた飛行日誌(フライトログ)を見つけ、手に取って調べてみた。飛行日誌には先ほどまでのトゥーレ空軍基地とのやり取りが記録されており、不時着の直後まで記録は残っていた。しかし、飛行日誌のある部分で大尉の目が止まった。「おい、ここを読んでみろ!」大尉は副官のジョー・ストレイサー軍曹にある部分を示した。この爆撃機は53年前の1948年12月22日にアメリカ・ニュージャージー州のマクガイア空軍基地を飛び立っていたのだ。目的地はここ、トゥーレ空軍基地になっている。航行時間は53年後ではあるが、予定を2時間オーバーしただけであった。その後の調査によって、乗組員の死因はショック死であることが判明した。死亡推定時刻は発見の10時間前。空軍基地側の交信記録とも一致する。機体に搭乗し亡くなった搭乗員の容貌は、とても53年もの年を取っているとは思えず、若々しいかった。そして更にキングバード50の当時の飛行記録を調べてみると、53年前にバミューダ海域で消息を絶った飛行機であることが判明した。この爆撃機は、トゥーレ空軍基地に収容されて点検を受け、3日後にはアメリカに送り返された。
