海をさ迷う幽霊船 3 | 世界珍ネタHunter!

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1884年に短編小説、『J・ハバクック・ジェフソンの証言』を発表したのをきっかけに、様々な説が飛び交うようになった。例えば裁判で指摘された“乗務員反乱説”はもちろんのこと、悪天時の荒波等の何らかの要因で全員が船外の海へ投げ出された“全員事故死説”、金塊を積んだ漂流船を発見した船長が、自分の船を捨てたという“船長欲ボケ説”、あげくの果てに、巨大イカが船を襲った“怪魚説”、または、自然界の現象で、生きたカエルや魚を降らせるファフロッキーズ現象に乗組員がさらわれたという“超自然現象説”まで飛び出した。やがてこの短編小説に尾ひれがついたものが噂となって知れ渡り、都市伝説に似た広がり方をした。
メアリー・セレスト号が見つかって40年あまり後のこと、アベル・フォスダイクという人物の手による文書が発表された。フォスダイクは十分な教育を受けた人物で、メアリー・セレスト号の密乗者であった。この文書は、フォスダイクの死後、友人であるハワード・リンフォードによって発見され、1913年ストランド・マガジンに掲載された。フォスダイクは何らかの理由で早くアメリカを去らねばならず、友人であったブリッグズ船長に頼んで同乗していた。ブリッグズ船長は、自身の幼い娘と妻のため、大工に頼んで海を見渡せる高い特別なデッキを作らせていたという。それが、メアリー・セレスト号が発見されたときに見つかった甲板上の奇妙な切り込みの部分であろうと文書には書かれている。フォスダイク文書ではこれに続いて巡り合わせと事故と不運が重なった奇妙なストーリーを展開している。日記形式の文書によれば、船長は部下に対して「人間は服を着たまま泳げるのか」という素朴な疑問を投げかけたという。ブリッグズ船長は甲板から外へ飛び出し、証明のためにその辺りをふざけて泳ぎ回った。これが乗組員に受けて、7人の乗組員のうち数人が続いて海に飛び込んだ。その間ブリッグズ船長の妻と子供、フォスダイク、二人の船員は特別デッキに上がって眺めを楽しんでいた。そのとき突然、泳いでいた一人の船員が苦しそうに叫んだ。フォスダイクらが見ると、彼はサメに襲われており、すぐに海に沈んでいったという。残りの乗組員も特別デッキに上がって何が起こっているのかよく見ようとしたが、ちょうどその時、特別デッキが壊れて海に投げ出されてしまい、偶然デッキの破片の上に墜落したフォスダイク以外全員がサメの群れに襲われ大混乱となった。無人の メアリー・セレスト号は海中でサメの群れに襲われている彼らを残して離れていき、サメの襲撃が終わる頃にはフォスダイクが唯一の生存者だったが、彼は船に戻ることが出来なかった。 彼は数日間、渇きと日差しに消耗しつつも漂流し、ようやくアフリカの海岸に漂着した。事件があまりに奇妙であったため彼は全く誰にも真相を明かさなかった。リンフォードの公開によって明るみに出たのは彼が亡くなった後であった。証言自体はある程度は筋が通っているが、残念ながらフォスダイクの主張を検証する術は無い。仮にフォスダイク自身が書いた文書だとしても、船の記録に彼の存在が記されていない理由を説明するのに"秘密の乗客"がいたと主張するのは都合がよすぎる。また、乗組員全員が船から落下するなどということは考え難い事と、羅針盤が破壊されていたことと六分儀とクロノメーターが失われていたこととの因果関係の説明は全くなされていない。そして、フォスダイクはメアリー・セレスト号は600トンの船であると書いているが、実際にはその3分の1程度の大きさである。 実際は乗組員はほとんどオランダ人だったが、文書にはイギリス人と書かれていた。たった7人の乗組員と毎日付き合っていればそのような見落としをしたりはしないだろう。以上の事から彼の証言は偽証の疑いが非常に高いのだがフォスダイクは、富や名声を得る権利を主張しておらず、それどころか、生前、事件について誰にも全く明かさなかった。メアリー・セレスト号に実際に何が降りかかったのかに関しては不明のままである。






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