海をさ迷う幽霊船 1 | 世界珍ネタHunter!

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1872年11月5日、マリー・セレスト号という全長103フィート(約31メートル)、282トンのブリガンティン(2本マストの帆船)のアメリカ船には38才になる船長とその妻、2才になる娘の他、7人の乗組員、計10人が乗り込み1700樽のアルコール原料を積んで、ニューヨークからイタリアのジェノバに向けて出港したが、1ヵ月後の1872年12月4日には、そのマリー・セレスト号が、ポルトガルとアゾレス諸島の間の大西洋を漂流しているのが、イギリス船デイ・グラチア(Dei Gratia)号によって発見された。デイ・グラチア号はメアリー・セレスト号の7日後にニューヨーク港を出港した船で、その船長モアハウスはブリッグズ船長と知り合いだった。デイ・グラチア号の乗組員は2時間ほどメアリー・セレスト号を観察し、「遭難信号を掲げていないがおそらく漂流中なのだろう」と判断した。マリー・セレスト号に近づいて船を横付けにして声をかけてみたが、返事がないため、船長以下、実際に乗り込んで確かめるべく、一等航海士オリバー・デボーは小さなボート数隻を率い、メアリー・セレスト号に向かった。デボーは「船全体がびしょ濡れだ」と報告した。ポンプは一基を除いて操作不能であり、デッキは水浸しで船倉は3フィート半(約1.1メートル)にわたって浸水していたという。船は他の点では良好な状態であるように思われたが誰も乗っていなかった。数人の乗組員か乗り込んで中の様子を確認することにした。しかし、船の中には誰も見当たらなかった。 海賊に襲われたのか? 伝染病に感染して乗組員全員が死亡したのだろうか? それにしても、死体がないのはおかしい。しかし不思議なことはそれだけではなかった。 船内の様子を調べる内に、次々と奇怪なことが分かったのだ。無人で漂流していたマリー・セレスト号の船長室のテーブルにあった朝食は食べかけのままで暖かく、コーヒーは、まだ湯気を立てており、調理室では、火にかけたまま鍋が煮立っていた。船員の部屋には食べかけのチキンと、シチューが残っていた。洗面所には今までヒゲを剃っていたような形跡があり、ある船員の部屋には血のついたナイフが置いてあった。 そして、船長の航海日誌には、「12月4日、我が妻マリー(本によってはファニー)が」と走り書きが残っていた。前ハッチは食料貯蔵室も共に開いており、掛時計は機能しておらず、羅針盤は破壊されていた。六分儀とクロノメーターは失われており、船が故意に遺棄されたことを示唆していた。この船唯一の救命ボートは無理矢理引き離された、というよりも故意に降ろされていたようだった。3つの手すりに謎めいた血痕があり、1つの手すりには説明のできない引っかき傷があった。また、血まみれの刀剣(に見えたが、実際は赤錆だった)が船長の寝台の下に隠されていた。


次回につづく・・・





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