幽霊機 フォッカー Dr-1第二次大戦中のヨーロッパ戦線、ドイツ軍がフランス降伏後、英本土上陸作戦(あしか作戦1939年11月立案、1940年7月16日条件付で承認、10月12日中止決定)に必要な制空権の獲得を目指し行われた航空戦「バトル・オブ・ブリテン」時、イギリス空軍は、イングランド上空へ進入するドイツ空軍の爆撃機を近代的なレーダー網を活用した要撃体制を構築していた。迎撃哨戒飛行中のハリケーン戦闘機の一機が、敵機らしき機影を発見し迎撃を行ったが、問題の機体に接近して確認すると、その機体は鉄十字が描かれており、紛れもなくドイツ機だった。しかしその機体の塗装は第一次大戦中に英軍機を低空で追撃中にオーストラリア第53砲兵中隊の軽機銃に撃墜されて戦死した筈の撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの乗機レッドバロンを示す鮮やかな赤一色のフォッカー Dr-1 三葉機だった。しかも飛行速度はハリケーン戦闘機の方が遥かに速いにもかかわらず、迎撃の為に追尾する事が出来ずにリヒトホーヘンの乗機は雲間に消え見失った。基地に帰投した英軍パイロットは、他のパイロットから笑われるのを承知の上で、その出来事を報告すると、何とパイロットの大半が同じような経験をしていたのであった。