
'80年シーズンにカワサキと契約していたスペンサーがUSホンダとスーパーバイクライダーとして契約、その穴を埋めたのが当時AMA250ccで活躍していたエディ・ローソンだった。ローソンは常にスペンサーとトップ争いを行ってた事でカワサキ入りを果たしている。'80年のKZ1000MKⅡによる戦歴は4月14日タラテガ、6月28日ロード・アトランタ、8月17ポコノにおける10戦3勝と1位のクーリーの128点に迫る121点で僅差の2位取得は、USカワサキのスタッフ達に大いなる感銘を与えた。'80年7月16日付 米サイクルニースに掲載されたカワサキの広告では「ローソンはロードアトランタのコース上を風と共に葉のように進んだ」とのメッセージでローソンの戦歴を讃えた。このメッセージに書かれている葉とは、カワサキファクトリー・カラーであるライム・グリーンの基となったライム樹の葉を意味していた。'80年5月、カワサキZの第2世代の空冷ユニットの限界性能を追求したニューエンジンを搭載したZ1000J1が生産された。ターゲットはレースへの本格的ワークス参戦であり、世界選手権のKR1000をはじめとして、AMAスーパーバイクレースも当然含まれていた。Z1に比べて太くなったクランクシャフト径、振動を逃がすためのエンジンフロント部フローティングマウント化が施され、シャシー系もフレームサイズの見直しが行われた。Z1000の登場によりAMAスーパーバイクレースは、ホンダVSカワサキのワークスによる本格的なレーシングエンジンとサスペンション争いになり、ホンダは元ヨシムラのマイク・べラスコやBMWのメカニックウド・ガイテル等がチューンを担当したのに対しカワサキはロブ・マジーによりダートトラッカーフレームのノウハウが盛り込まれたりした。パワーユニットは、それぞれ日本から送られた耐久レース用がベースで自質上はRS1000VSKR1000というレベルであったが、立ち上がりパワーを得る為に更にチューンが施され、点火系や吸排気系にアメリカ人チューナーの手が加わり、それぞれに独創的なメカニズムとなった。ローソンのKR1000Jには、S&Wブルーマグナム・フラットバルブキャブレターとカーカー製エキゾーストが装着され、エンジンも2プラグ・ヘッドも開発されたが、ポイントカバー等は、'81年シーズンはノーマルベースであった。マジー・マジックと言われた独特のトラス構造のスイングアーム、スタビライザー付きスイングアームが考案されリア・ショックも当初S&W、つぎにFOX、そしてワークス・パフォーマンス製と各種トライ・アンド・エラーがくり返された。本格的チューナーを得たカワサキチーム・グリーンは、元来が耐久用に新たに耐久用に新たに設計されたKZ1000Jエンジンをベースに無類の安定したパワーを引き出した。ショックも当初S&W、つぎにFOX、そしてワークス・パフォーマンス製と各種トライ・アンド・エラーがくり返された。本格的チューナーを得たカワサキチーム・グリーンは、元来が耐久用に新たに耐久用に新たに設計されたKZ1000Jエンジンをベースに無類の安定したパワーを引き出した。

