昭和18年12月、前例のない特殊な用途の機体であったため、設計、試作に日時を費やしたが、長時間運転には信頼性の高い日立の発動機「天風」31型の採用などで漸く、1号機の完成を見た。完成した機体は、下方視界を重視したため機首が特異な形状となり、また攻撃時の急降下、引き起こしを楽にするため、0度から90度まで自由に操作できる特殊なフラップ(ダイブブレーキ)が付けられていた。海軍での試験飛行では尾部フラッターの問題が生じ、九州飛行機では問題点の改善の為に生産が滞り、「東海」11型として制式採用されたのは昭和20年になり既に南方との制海圏及び制空圏を失った状況下では、低速で弱武装の対潜哨戒機を実戦で単独運用する事は難しく海上交通路は敵潜水艦と空母によって海上輸送護衛の時期を失しってしまった。後1年早く完成していたら、大きな戦果を挙げていただろうと惜しまれ、一般には余り知られずに消えていった名機である。製作所 九州飛行機。 生産機数 153機。
先日の衝撃降下90°で思い出した機体だが、個人的には印象のあるエピソードがある。もうかなり昔の事ではあるが、当時学生であり気象学の講師として石崎氏が招聘され講義を受講していた。難しい講義で些かウンザリ気味だったが昼休みの休み時間、偶々席を同席する事となった。戦中の話になり零式水上偵察機のパイロットでソロモン諸島では、グラマンF6F戦闘機に機体を蜂の巣にされながらも帰還した事、その後陸上機のパイロットに転身して対潜哨戒機「東海」のテストパイロットになった事も話された。対潜哨戒機の試験飛行では、ダイブブレーキを開き垂直降下ダイブを行った際に乱流が生じてそれが水平尾翼に当たり強い尾翼フラッターを生じ機体の引き起こし操作が出来ずに「この間々では引き起こし操作出来ずに死んでしまう!」と一瞬思ったらしいが、ダイブブレーキを開いて尾翼フラッターを生じたのなら、閉じれば良いと閃きすぐさまダイブブレーキを閉じたら嘘の様にフラッター振動で制御不能だった機体があっさりと回復してしまったと言う。「あの時、閃かなかったら今此処には居ないでしょうな。」って言ってた氏の言葉が印象的だった。

