父島事件 | 世界珍ネタHunter!

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1944年8月31日から9月2日にかけて、東京から南約1300キロの小笠原諸島の父島に対して空襲が行われた。米空母からアベンジャー雷撃機が次々に離艦し、父島攻撃へと飛び立って行った。米攻撃機を迎え撃った父島守備隊は高射砲や機関砲で応戦し5機の雷撃機を撃墜し、この内の1機には後の第41代米国大統領となるジョージ・ブッシュ中尉が乗機していた。ブッシュは、被弾した機体から脱出しパラシュートで海上へ不時着水した。その後、味方の潜水艦に救助されたが、同乗していた2人の搭乗員は行方不明となった。この父島攻撃で5機の雷撃機が撃墜され内8人が日本側の捕虜となったが、翌年の昭和20年2月23日から25日にかけて、小笠原諸島の父島に配備されていた陸海軍の混成団の立花芳夫中将と的場末男少佐らが共謀して「日本刀の凄みを披露する絶好の機会」という理由で、捕虜を殺害し軍医にその遺体を解体させ、その肉を戦意高揚のためとして焼いて酒宴の肴として食した。後の証言によれば、立花は米搭乗員の手足の肉や内臓を食べると、「これは美味い。お代わりだ!」と喜んで食していたという。昭和20年8月15日敗戦を迎え翌9月2日に父島へ米軍が上陸し、立花陸軍中将を正使、森海軍中将を副使として降状手続きを行った。この時、米側は開口一番、「パラシュートで脱出した米軍搭乗員は何名いたか。その後、どうなっているか知りたい」との質問に対し日本側は、「防空壕で全員爆死した」と回答した。これに対して米側は不信感を抱き露骨に不機嫌な態度になった。その後、米側は的場大隊以外の部隊から捕虜処遇に関して事情聴取を行い事件の経緯を掴んだ。この為、的場陸軍少佐の大隊だけは復員が許可されず、事件の証拠固めができた昭和21年2月になって米側は、「捕虜になった米軍搭乗員達は、残虐行為の末に殺害され人食された。この事件の主犯は陸軍では立花中将と的場少佐、海軍では、森中将と吉井大佐である」としてグアムの軍事裁判にBC級戦犯として起訴した。立花ら4人は大筋で罪状を認め、小笠原事件に関与したとする軍人ら27人が逮捕された。吉井は裁判で、「無差別爆撃する米軍が悪い。搭乗員は処刑されて当然。人肉は戦意高揚のため食した」と供述。更に、「日本軍の戦陣訓である、゛生きて陵辱の辱めを受けず゛・・・という教えがあり、捕虜に対する行為は何をおいても許される」と主張した。しかし、その主張が認められる訳もなく結果、立花、的場、吉井、伊藤、中島昇大尉ら5名が絞首刑(森は終身刑、但し別途オランダによる裁判で刑死)、終身刑5名、有期刑15名となった。立花と的場は処刑されるまでの間、非人道的な事をしたとして米兵達の憎悪の対象となり、獄中に於いて激しくリンチ虐待され続けた。







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