ドイツが第2次世界大戦末期に実施した連合軍爆撃機への体当たり攻撃が、旧日本海軍の神風特別攻撃隊に触発され空対空特攻、つまり戦闘機による連合軍爆撃機への体当たり攻撃が立案された。作戦に赴くパイロットに自殺を命じるのに等しい作戦にナチス・ドイツの総統ヒトラーは当然の事ながら難色を示し、ヒトラーに次ぐ実力者だったゲーリング空軍総司令官も反対した。しかし、燃料が枯渇し戦闘機の補充も滞る中、飛行時間が100時間にも満たない練度不足のパイロットでは、正攻法の作戦で連合軍パイロットと渡り合える事は事実上無理であり、やむを得ない戦法だと説得し「エルベ特別攻撃隊」が編成されハヨ・ヘルマン空軍大佐によって指揮された。高空より機銃弾を撃ちながら敵爆撃機めがけて一直線に突進し、衝突と同時にパラシュートで脱出することで生還の可能性を残していたが、死を覚悟しなければ志願できない作戦であり、戦死することを前提に「自己犠牲攻撃」として志願者を募った。独北部のエルベ川周辺に展開したため、エルベ特別攻撃隊と呼ばれ、1945年4月7日に約180機のメッサーシュミットBf109とフォッケウルフFw190を動員し戦果は資料により異なるが、体当たりで20数機の爆撃機を撃墜し、同部隊の約80人が爆撃機の防御放火や護衛闘機によって撃墜されたりして戦死・行方不明になったとされる。ドイツが敗戦する僅か1ヶ月前の最後の組織的な作戦行動であり、既にドイツの余力は残されて折らず部隊が再編成される事も無く一度限りの作戦で終結している。ドイツがモデルにしたのは、空対艦特攻の「神風」ではなく、陸軍航空隊でB‐29への空対空特攻を行っていた「震天制空隊」ではないかと推測されているが定かではない。尚、当時のアメリカ軍の交戦記録には、ドイツ機が意図して空中特攻をしたのではなく単に回避操作が遅れて空中衝突したとして記録されている。