
1979年にウォーバードのエンジン整備とチューニングで名が知れていたジョン・サンドバーグと、元スカンクワークスのエンジニアだったブルース・ボーランドが時速500mph(800㎞)を超える最速ホームビルド機を作るために協力を始めた。機体は製造コストを抑える為に約68%を新造し、他の部品は他の機体部品を流用する手法を取った。ツナミに搭載されるマーリンエンジンのチューニングをサンドバーグを行った結果、最終的には3600hpに達していた。1986年のリノ初戦では435mphを出す(最終的にはリタイア)。 1987年には464mph、89年には非公式に500mphを超えたらしいが、翌年の90年は462.999mphでゴールド2位、91年は3位だったが、478.140mphだった。しかし、その10日ほど後、着陸アプローチ中に横転し、搭乗していたサンドバーグは惜しくも亡くなってしまった。現在は、サンドバーグの娘の一人、シャロンが父の夢だったレシプロ機で500mphの公式記録を残そうと、ツナミをレストアしようと募金活動をしている。

