地中海上空のハイジャック  3 | 世界珍ネタHunter!

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カントZ506B機を迎撃して来たのは、603スコードロンのシャーウッド中尉率いる4機編隊のスピットファイアだった。列機のなかにはストレーバーの親友のヤングも居た。シャーウッドは、カント機を発見した時「こんな飛行機が真っ昼間にウロウロしているのはどうしてだろう?」といぶかしく思った。しかし、血迷って雷撃でもやるつもりかも知れないから、撃墜してしまえ!と決めた。マルタ島を探すのに夢中だったストレーバーは、スピットファイアの危険はすっかり失念していたが、こうなれば何とか攻撃をかわして海上に不時着する他ないと考えた。彼はイタリア人機長のマストロドラサ中尉を引き立てて機長席に押し込むと「着水だ!着水しろ!!」と怒鳴り命じた。副操縦士のチャファリ中尉も覚悟を決めていたのだろう。スロットルを引いて機速を落としたが既に時遅し、後上方の射撃位置いたスピットファイアから射撃が始まり射弾が30フィート前方の海面に着弾した。つづく2機目の射弾はもっと近く、3機目(ヤング)の射弾は左主翼に被弾し40発もの穴をあけた。ダンスモアは白いシャツを脱いで、横窓から首を出し、戦意が無い事を迎撃機に示そうと勢いよく白シャツを振り回した。その時カント機はザザッとセントポール湾に着水した。4人は着水と同時に風防を開いて機外に飛び出すと、主翼の上に集まり、白シャツや手を振った。上空を旋回していたスピットファイアは、戦意無く我々に降伏したと認め、迎撃任務を中止し基地へ引き上げて行った事で、カント機をハイジャックした4人は助かった。それから捕虜にしたイタリア人5人を解放し、9人で主翼の上に座って救助が来るのを待った。飛行機をハイジャックされたイタリア人達は、ショックで意気消心いていたが、予定の休暇がダメになったという失望感からかも知れなかった。副操縦士のチャファリはトランクからワインを取り出して皆にまわしながら「休暇で生まれたばかりの赤ん坊の顔を見るつもりだったのに・・・」と愚痴をこぼした。やがて救助隊が来て、カント機を曳航した。なかなか進まないので、ストレーバーは、エンジンを掛けて自力航行すれば良いと言い出したが、ハイジャックされたショックで落ち込んでいたイタリア人機長は首を横に振って言った。「着水で燃料を最後の一滴まで使いつくしたよ」撃墜されたビューフォート機の生還4人達はマルタで大歓迎を受けた。4人とも既に戦死と推定され、遺品は荷造りされていたので、それを解いて身のまわりを整えなければならなかった。ブラウンは家族宛の行方不明の電報が発信されようとしていたのを止めさせた。一方、捕虜もろともカント機を見失ったイタリア海軍は、2週間後に思いもよらぬ形で結末知る事になる。69スコードロンのコールドベック中尉が空軍司令部に呼ばれたのは、8月の初めだった。中尉は当初戦闘機パイロットだったが、空戦に出る前に写真偵察にまわされ、その年の3月にジブラルタルからマルタに赴任して来ていらい、イタリア本土、シシリー島海域の要地偵察に飛びまわり、司令部では彼を高く評価していた。カント機をハイジャックして基地に帰ってきた冒険談は彼も耳にはしていたが、情報将校の依頼がその関連だとは思わなかった。どうやらビューフォート組が手厚く待遇されたので、何かお返しという発想だったと思われるが、次の偵察飛行でイタリア人捕虜達の私物をカタニアに落としてくれ、と言うのだ。中身は家族宛の手紙とか写真等で宝くじの抽選券まで入った小包である。コールドべックは承知して小包を持ち帰ったが、カタニアは飛行場と港湾があり対空砲火も強力で決して安全な場所ではない。「25000フィート以下に降りるのは危ない」と判断した中尉は包装を作り直し、赤のチョークで「カタニアのイタリア空軍へ」と書いたリボンを結びつけた。それから数日後に写真偵察の命令が出た。メッシナを通ってナポリへ向かい、戻ってくる行きなれたコースだった。コールドべックがBP915号の愛機に搭乗して出発したのは8月10日である。往きにカタニアを見ておき、ナポリで写真をとって帰ってくる途中、高度を4,000フィート迄下げ、スピードも落としてゲルビニ空軍基地へ接近、風防を開くと小包を投げ落とし、スロットルを入れて海上へ急旋回しつつ脱出した。幸いにも一発も撃たれずに、無事に帰還する事が出来たが果たして小包が届いたものやら、コールドべックは、連日の偵察任務に追われて忘れていたが、3ヵ月後の11月10日、偵察任務でタラントとメッシナをまわったのち、低空でアウグスタ港の写真を撮影していた時に対空砲火で被弾してパラシュートで脱出した。既に夕方になっていたが、海面を漂っていたコールドパックは、救助にやってきた掃海艇のサーチライトに見つけられて救助される。待遇は手厚く、担架に乗せられ看護人もついて病院へ運ばれ、傷は軽かったので、数ヶ月後にはイタリア本土へ送られた。その途中で、投下した小包の事を思い出し監視兵に3ヶ月前の投下品のことを聞くと、小包は空軍司令部に届いたと言う。無事に任務を果たした事を知り、コールドペックはほっとした。
捕虜になったコールドべックは、その後イタリアの降伏でドイツに移送され、ミュンヘン、ストラスブルグ、ブレーメンと収容所を転々としたが、虐待もされずトンネルを掘って脱走を図っているうちに、リューベックで終戦を迎えた。




   完








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