地中海上空のハイジャック | 世界珍ネタHunter!
1942年夏、ヒットラーとドイツ第三帝国は、北アフリカ戦線で輝かしい勝利の頂点に登りつめようとしているかに見えた。6月21日、トブルク要塞を攻め落としたロンメル将軍の北アフリカ軍団は、余勢をかって、エジプトに突入し、エルアラメインからカイロの様子を探っていた。その独伊連合軍にとって、ノド元に刺さったトゲのような存在が、英領マルタ島であった。この島は、既に開戦直後から3年近く、猛爆撃にさらされながらも、孤独の戦いを続けていた。少数機とはいえ、ここを基地とする爆撃機、雷撃機によってイタリア本土と北アフリカを結ぶ独伊軍の海上補給路を脅かしてしたからだった。イタリア軍に占領能力無しと判定したドイツ軍は、41年末、独ソ戦線から有力な空軍の部隊を南部イタリアへ配置し、マルタ空軍を壊滅したのち「ヘルクレス」作戦と呼ぶ上陸作戦を決行する予定で、春頃から爆撃を強化した。守備側のイギリス軍も当然必死であった。ジブラルタルとアレキサンドリアから補給船団を送り込み、米空母までか借りて飛行機の補充を行った。途中で独伊空軍に攻撃され、その度に大損害を受けたが、かろうじて補給路は断ち切れなかった。その代わり、バレッタ市街や港湾、飛行場は瓦礫の山と化し、燃料や食料は極度に逼迫した。マルタ空軍の防空兵力は100機前後のスピットファイアだったが、攻撃力の主体は雷撃兼用の旧式ブリストル・ボーフォート機で、他に少数のウエリントン重爆やアメリカから供給されたマーチン・バルチモア中爆が配備されていた。しかしボーフォート機の消耗が大きい為、紙上では39、86、217の3個スコードロンがあっても、この頃はギップス少佐が一隊にまとめて運用していた。1942年7月28日、イオニア海を索敵していた69スコードロンのスピットファイア偵察機から、護衛艦2隻を伴ったイタリア商船1隻がギリシャ西海岸沖を南下中、と報告してきた。後で判明した事だが、この部隊は、モンヴィソ号(5,552トン)と直衛の駆逐艦フレチア(1,206トン)から成っていた。直ちに攻撃命令が出て、ギップス少佐が、ボーフォート機を率いて雷撃する事になり、2番機の機長には、南アフリカ出身のストレーバー大尉が指名される。若干22歳のストレーバーは、背の高いスポーツマンで、戦前は会計事務所で働いていたが、開戦直後に南アフリカ空軍に志願し、ガンナーを経て雷撃機パイロットに転向した。離陸直前に空襲があり、列線から動き始めた所へ、低空で帰ってきたスピットファイアが壁に激突し炎上する事故が起きたので、出発は遅れたが、ビューフォート隊の全機は09:10にカタリ飛行場を離陸した。戦闘機の援護は無く、戦果確認機のバルチモア中爆が1機随伴した。攻撃目標はギリシャ西南部のナバリノ沖だが、ストレーバー機の飛行は決して快適とはいなかった。ヒーターの故障で機内が猛烈に暑くなり、汗だくの機長を涼しくしてやろうと、ダンスモアが風防を開いて航法ノートで風を煽ぎ入れたが、あまり効果は無かった。3時間近く飛行した後、そろそろギリシャ沿岸に到着する頃、右手に3隻の艦船が見えてきた。予定の攻撃目標に違いない。編隊は東南方へ変針し、ついで海岸から西へ向かって攻撃する態勢をとった。輸送船は早くも回避運動を開始していたが、ギップスは巧みにまわりこんで攻撃地点へと編隊を誘導する。対空砲火が集中してきた。ストレーバーは機速を120ノットから140ノットへあげ、船尾を狙った。機首に座ったダンスモアは1丁のビッカース機銃を撃ち始めている。「魚雷投下」を命じたストレーバーは一番機につづいて商船のマストスレスレに飛び越すと、右に旋回した。機体の中央部にいたブラウンは、甲板上で船員達が右往左往している姿を眺めていた所へ、突然機体が酷く振動して、右エンジンから黒煙が噴出した。ストレーバーはギップス機に追いすがり、翼を振って合図すると、機首を海岸線に向け、伝声管に向かって怒鳴った。「ごらんの通りだ!不時着用意!!」エンジンは未だ回っていたが、速度は落ち、機体は気味の悪い振動を繰り返す。それでも何とか300フィートまで高度を戻したが、もう飛行を続ける余力は無くなっていた。ストレーバーはスロットルを絞り、フラップを下げ着水した。機体は2,3度海面をジャンプしたのち、停止した。ゴムボートを機体から下ろし、全員が足も濡らさずに乗り移ると、機体は既に海没し、乗員4人の漂流が始まった。積み込んであった非常食はトマト・ジュースの缶、水、そして信号弾と2枚のアルミ製オールで、十分とは言えない。しかし、海岸線からは遠くなかったし、目印となる岸の塔も見えた。ボーフォート機の乗員4人がアルミのオールで漕いでいると、イタリア空軍のマッキMC202戦闘機が飛んできた。攻撃してくるようだったら海中に飛び込もうと身構えたが、上空を一周しただけで飛び去って行き、少しすると別の爆音が聞こえてきた。今度は3発の水上機カントZ506B型である。この飛行機は民間用に開発されたのを、イタリア空軍が改装して、爆撃、偵察、船団護衛、対潜に救難を兼ねる多用途機として使用されていた。カント機はゆっくり上空を一周すると、ゴムボートから30メートル位の所へ着水した。ストレーバーが泳ぎつくと、乗員がロープを投げてくれたので、それを結びつけ、引き寄せもらい、乗り移った。乗員達は殆ど英語が話せなかったが、態度は悪くなく、ストレーバー達はタバコ一本ずつもらって、翼の上で深々と吸い込んだ。機内に移ると、ピストルを持った乗員が監視についたが、ダンスモアの傷口に包帯を巻いてくれた。離水したカント機は海岸に沿って北に飛び、約2時間後にはコルフ島についた。ここでも4人は友好的に迎えられ、形だけの尋問がすむと食堂へ案内されたが、それはマルタの質素な食事に比べると、夢かと思うほどのご馳走だった。ステーキ、トマト、スパゲッティに赤ワインがつき、食後は香り高いコーヒーも出た。将校達からカードをやろうと誘われたが、断わって、ピンポンを打ち合い仲がよくなったところへ、将官がやってきてその日の戦果を教えてくれた。魚雷一本食らったモンヴィソ号はナパリノ港まで曳航され修理中だという。その日は将校と軍曹の二組に分かれて寝室をもらったが、当直将校は「けっして脱走はしないで下さい。銃を持った番兵がいますから撃たれるだけです。」と注意した。補虜達は、多分ユーゴスラビア経由でイタリア本土の収容所に送られるだろうと予想して、その時は列車から飛び降りて逃げようと相談していたが、次の日思わぬハプニングに恵まれ奇想天外の脱走劇に発展する。
つづく 

