砂漠に消えたB-24 「善良な淑女」3 ナポリ港爆撃出撃編 | 世界珍ネタHunter!

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善良な淑女号が発見された直後暫くの間、ジャーナリスト達は、米空軍の公文書や元戦友と遺族の間を走りまわって、実状を解明しようとした。米国防省も特別調査班を編成して、事件の原因の究明に乗り出した。その結果、ハットン機が基地の南方400マイルのサハラ砂漠に迷い込んだ謎が少しずつだが判明して来た。その判明した事件の経緯を再現してみよう。「善良な淑女」号は1941年に英空軍の発注により生産されたB-24D型629機の1機であった。しかし、生産途中で契約が変わり米空軍に受領される事になった。空輸パイロットの手でカンサス州トペカを中継して北アフリカ戦線の第376爆撃グループに届けられている。同じころトペカ基地に飛行学生過程を修了したばかりのハットン中尉以下9名のB-24搭乗員が集まってきた。機長のハットン中尉は既婚者で25歳にして飛行操縦学生となり修了時には26歳となっていたが、平時では年齢制限から飛行学生とはなり得ないがパイロットの大量増員計画によって採用された。B-24善良な淑女に搭乗する9人がソルク基地に着任したのは、3月下旬、最初は予備員に入れられ、作戦任務の内容を習得させる為に他のB-24に分乗し実戦訓練で技術の習得を目指した。4月4日ナポリ港爆撃に出動する命令が出された。薄いピンク色で描かれた善良な淑女号を与えられたのは作戦日の当日になってからだった。この頃の北アフリカ戦線では、独伊枢軸軍が敗退し続け、5月にはチェニジアに追い詰められていた枢軸軍が降伏する。連合軍は7月に予定したイタリア進行に備え、大規模な爆撃作戦を発動していた。ナポリ港爆撃もその一環で、この日は、アルジェリアから106機のB-17とソルクから25機のB-25が出撃した。援護戦闘機は後続距離が足りず爆撃機だけでの高高度爆撃である。13時30分に先発隊の第1編隊12機がソルクを離陸、数分後に第2編隊の方は思わぬ故障が続発した。離陸後に吹き付けていた砂嵐の為にエンジンに砂を吸い込み不調となった7が直ぐに帰投した。残りの6機のうち2機は酸素マスクの故障で失神者をだして離脱、帰投したので残りは4機だけとなった。編隊長も副隊長も抜けたので、初陣のハットンが編隊の先頭を飛行する事になる。19時50分にソレント上空に達した時には、日がとっぷりと暮れ、爆撃照準は困難となっていた。ハットンは出撃前に市街地を爆撃するなと戒められていたので、今から爆撃任務を遂行するのは困難だと判断したのか判明しないが、爆撃任務の中止を決意し編隊を解き、帰投コースについた。帰りは予定どおりに単機ずつになったが、2機はシシリー島のカタニア港に投弾し、他の2機は地中海に爆弾を投下して廃棄してる。アイオヴィン中尉機はマルタ島の英軍基地に不時着、スウォーナー中尉機は22時45分に、ウォーレイ中尉機は23時10分にソルク基地に着陸し帰還した。残るは八トン中尉機ただ1機を残すのみとなった。

次回につづく








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