中空冷却排気バルブ | 世界珍ネタHunter!

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戦前の日本ではエンジンの開発の際に、排気バルブはエンジン出力の上昇に伴い折損する事故が頻発し、この排気バルブの折損事故の対策は非常に難しかった。その後、1934年に三菱が海外に派遣していたフランス駐在の技師、桜井俊記からイスパノ社で製作してる中空排気バルブの技術が入り、続いて同じく駐フランス任務を終えて帰国した中川岩太郎が、中空冷却排気バルブの工作状況報告を写真とともに日本に持ち帰った。この中空排気バルブとは、中空のバルブ内部に金属ナトリュウムを封入し、溶融ナトリュウムの流動によりバルブフェースを冷却するので、バルブの折損及びデットネーションの防止に大きな効果を発揮する。しかし現在では、空気や水と激しく反応する金属ナトリウムをバルブ内部に封入しているため、エンジンを廃棄する際にバルブから封入されている金属ナトリウムを抜き出す必要があり、廃棄にコストがかかる問題をはらんでいる。また、バルブヘッドからバルブステムに伝導された熱はバルブステムを支持するシリンダヘッドのバルブガイドに伝わって逃げるだけであり、バルブの温度を下げる効果はそれ程大きいとはされていない。これは恐らく、バルブ自体の大きさの違いだと思われる。つまり、車用の排気バルブよりも航空機用の排気バルブが3倍以上も異なっているからである。そこで、最近では、金属ナトリウムの代わりに冷却用のオイルを使用し、このオイルをバルブステムからバルブヘッドに供給する一方、バルブヘッドからバルブステムに戻し、バルブの外部に排出するように、オイルをバルブステムの内部で循環させてバルブヘッドを冷却するタイプの冷却法が発案されている。当時この開発を命じられたのは未だ20代の技師、末吉国夫で最初の問題は、バルブの形状であった。この時代の日本では切削工作機械に比して鍛造機械の発達が非常に遅れていた為、この形を作れる工作機械等先ず無かったのである。イスパノ社で使用してるドイツのオイムコ社製の絞り機があればと購入を願い出たところ、上司だった深尾にこっぴどく叱られた。「何を言うか、当所では航空機の様な難しいものを作っている。絞り機のような簡単なものは直ぐに出来る、三国に頼め」工具工場の三国繁次郎は現場叩き上げから技師に昇格した現場の神様の様な人物で、機械加工における最高レベルの熟練技能者であったのみならず、工具や工作機械を工夫考案し製作する力量を備えていた。三国は機体工場に放置されていた古いアメリカ製の絞り機を参考に大型の物を作ったが、弁外形はともかく弁内径奥の処理はなかなか上手く行かない。絞っては切り絞っては切りの繰り返しを行いながらも改良を加えつつ形が出来る様になってからも軸部を窒化したり、シート部にステライトを溶接して耐磨耗性を高めたりするなどの改良を加えられるが、その一つ一つに非常な苦労を要した。着手から足掛け3年、1937年に至って何とか量産の見通しが付いた。中空排気バルブの開発は、航空エンジンの信頼性を高めるのに実に多大な貢献をした。そしてこの分野で三菱は他社の追随を許さなかった。陸海軍は製造技術を中島をはじめ他社にも移転させようとしたが、深尾は頑固に抵抗した。「ノウハウを秘匿するわけではない、しかし、作り方がわかっても簡単に出来るものではなく、品質が悪ければ事故につながる。いかなる需要数も三菱で満足させるから任せてほしい。」と言うのが深尾の言い分であった。実際、軍の要求に従って他社にも製作法を披露したが、実習に訪れた社外技術者の誰一人として、これを作り得なかったと言うエピソードがある。結果、深尾の主張が認められて1943年には排気バルブ専門の工場が京都に設立されたと言う。ピーク時には日本の航空機用排気バルブ総生産の9割以上、同じく吸気バルブの3割が三菱のバルブ専門工場から出荷された。







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