ネジの歴史 | 世界珍ネタHunter!

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15世紀~16世紀初頭に掛けて活躍したレオナルド・ダ・ビンチが残したノートにはネジ加工に関する原理がスケッチされている事から推測すると金属製のボルト、ナット類は遅くとも16世紀の初頭にヨーロッパで出現されたとされる。これらのボルトやナットは馬車や荷車で使われそれ以外では鎧の胸当て部分をネジ止めされていた物も存在した。日本人が金属製のネジを目にしたのは、1543年に種子島に漂着したポルトガル人が携えていた2丁の火縄銃の銃底に尾栓として使われていたメネジだったとされている。後に日本でも火縄銃をコピー生産される訳だが、尾栓のオネジの加工は手間は掛かるが比較的簡単であった。当時はダイス等のネジ切り工具が存在していなかった為、三角形に切った紙をネジ切りする丸棒に巻き付け、その線に沿ってヤスリで削り込んでいったとされるが、銃底メネジ加工のタッピングは最大の難問であった。普通ならばタップを用いてメネジ加工をする訳だが、この部分の製造法は鉄砲鍛冶の間で長くマル秘中の秘とされ、門外不出だった。このメネジの加工法とはあらかじめオネジがギリギリ入るところまで中ぐりをして、熱を加えて冷えてオネジを収めた後にハンマーで叩き成型していく、熱間鍛造成型でつくり上げたとされる。
イギリスで始まった産業革命によって、ボルトとナットの需要が格段に拡大して行った。その為、ボルトとナットを大量に生産する機械が必要となり、ネジ切り旋盤が登場する事となった。このネジ切り旋盤の登場で、これまでバラバラだったネジの規格に少しずつ統一の兆しが見え始めた。それまでのボルトとナットは規格等が無くボルトとナットをバラしてしまうとマーキング等をしてない限り再度組み付ける事は略不可能であった。機械メーカーによって製作されていたボルトとナットはやがてネジ専門のメーカーによって製作され、ある一人の男によって明確な規格が誕生する事になった。それが「ウイットウォース・ネジ(ウイットワース・ネジとも言う)の名で現代にその名が残るジョセフ・ウイットウォース(1805~1887年)である。彼の凄い所は、当時のボルトと言うボルト、ナットをとことん調べ上げ、整理しネジ山の形状、外径、ピッチについての「統一見解」を具体的に示した事だった。これはウイットウォース・ネジととしてイギリスの多くの工場に受け入れられ、やがてこのネジ規格で作られたイギリス製の機械類が全世界に広がるのである。(ウイットウォース・ネジとそれ以降のネジの大きな
違いはネジ山の角度が55度で、それ以降のものは60度である。)その後は1865年にアメリカネジと称するアメリカのインチ規格が登場し、フランスではメートル法によるメートルネジが1894年に登場し異なった種類の規格が現在に至る迄存在する。








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