№4  スバル360  試作 | 世界珍ネタHunter!

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エンジン担当の菊池は、それまでのスクーターの経験から、総重量をラビット スクーターの2台半に当たる350kg以内に抑えられれば、15馬力のエンジン出力で、最高速度80kmが可能であると割り出しており、百瀬との考えは一致していた。因みにk10を計画しはじめたころに発売された鈴木自動車のスズライト 360cc の総重量は540kg、参考の為に輸入したドイツのミニカーロイト 400cc は500kgであった。百瀬が目標とした340kgがいかに軽いかがわかるだろう。そこで、目標値の総重量に近付ける為に一般的には鉄板を使うシートの骨組みやフード、ブレーキ ドラムをアルミ製にするなど、其れまでの自動車の常識を破る徹底した軽量化対策をとった。また、リア ウインドウにはガラスでは無くアクリル樹脂を採用した。当時、フロント ガラスには安全ガラスの使用が義務づけられていたが、リアには規定が無かった。更に、ルーフにはその頃としては極めて珍しいFRPを使う事にした。当時、アクリルやFRPは、ガラスや鉄板に比べて値段が数倍にもなった。だから、他の自動車メーカーでもアイデアとしてはあっても、量産品に使おうとはしなかった。しかし、工夫を凝らして量産すれば、折り合いのつく値段になることがわかったのである。次に総重量に占める割合の大きいボディ外販の厚さをどれだけ薄くできるかが、大きなポイントであった。先のP1では0.8mmだったが、K10は0,6mmを採用した。これもまた、日本で始めての試みでだった。ただ、フードは当初計画していたアルミ製では駄目だとわかり、鉄板に変更したため、結果的には目標値を20数kgオーバーしてしまった。車体は伊勢崎で、エンジンは三鷹でそれぞれ進められ、開発がスタートしてから1年4ヶ月たった昭和32年4月20日、試作第1号車が完成した。耐久走行試験は、2交代で昼夜なく行われた。この耐久試験では、まずエンジンが問題を起こした。ベアリングの焼き付き、シリンダー排気ポート周辺へのカーボンの附着、冷却不足等であった。走行試験では耐用年数から、少なくとも5万㌔を走破する必要があった。当時の伊勢崎あたりは、未だ道路も整備されておらず、スピードが出せなかったので、5万㌔をこなすのは大変だった。3交代で行われた。登坂試験では、伊勢崎の北にそびえる標高約1800mの赤城山への道がもってこいだった。下の鳥居からダラダラ坂が続き、途中から急坂になる。それも砂利道であった。その頃の国産車は、必ずといって良い程途中でボンネットを開けて、エンジンを冷やしながら登った。百瀬はこの坂を登り切れる事をK10完成の条件の一つとした。最初はエンジンが焼き付いた。その度毎に三鷹に連絡して対策を講じ、再び挑戦し、また焼き付く。その繰り返しであった。山頂迄上がれるようになるのに、半年を要した。初期トラブルを改修した試作車は、全て5万㌔をクリアした。百瀬自信、その耐久性には驚いた程だった。こうして完成したK10は、昭和33年3月3日、スバル360として正式発表され、5月から発売された。販売価格は42万5千円だった。


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