№2 スバル360 開発前夜 | 世界珍ネタHunter!
昭和33年3月に富士重工がスバル360を発表した訳だが、其れまでバスやスクーターしか生産してなかった富士重工の大胆な挑戦であった。もともと車両法に360cc以下の規格が制定されたのは昭和24年7月の事である。ただ、こんな超小型の四輪が本当に実用上問題ないのか、また市場としても成功するのか皆見当がつかなかったので、当時はどのメーカーもあまり注目する事がなかった。国民車構想が発表されてから、各社の競争が熾烈になろうとした時期である。後発メーカーの富士重工がスクーターの生産或いはバス·ボディーの下請けからの脱却をスローガンに、社運を掛けてスバル360の開発をスタートさせた。スバル360の開発には、昭和25年に旧中島飛行機の伊勢崎工場(群馬県)を母体として資本金3千万円、従業員514名で発足した冨士自動車の技術陣であった。昭和30年4月、富士重工がバラバラになっていた旧中島の5社を吸収合併する形で合同、これによって冨士自動車は冨士重工伊勢崎製作所となった。その合併からまもない12月9日、その伊勢崎製作所にて「軽4輪車設計計画懇談会」なるものが開かれた。出席者は技術担当役員のほか、三鷹製作所の企画次長 山本弘、開発チーフとなる百瀬晋六らであった。企画次長の山本から提案された計画案は、スクーターとバス·ボディーのメーカーである富士重工の経験と技術の延長線上で、エンジンを三鷹、ボディーを伊勢崎が担当すれば、軽自動車を製作することが可能であると言うものであった。「以前からこの軽自動車の案は頭の中であたためていた」という百瀬は、リアエンジン·リアドライブで大人4人がゆったり乗れる車である事強調した。当時、軽自動車については「2+2」と言われていた。これは前に大人2人が乗り、後部に子供2人が乗ると言う車内スペースの事であったが、これが百瀬には納得いかなかった。また、当時は会社の慰安旅行などでは、もっぱらバスが使われていた。そこで、「大人4人乗った上で、せめてバスが登れる位の坂を登れる性能を持った軽自動車」と言うのが、百瀬のイメージした車の最低条件だった。しかし、自動車技術協会を指導する自動車工学の専門家である大学教授達からは「軽で大人がゆったり4人乗れる車等出来る筈がない」と決め付けており、百瀬と親しい群馬大学の山本峰雄教授は、常日頃から「軽自動車などには興味すらない」と口にしていたほどだったと言う。要するに、軽自動車は乗用車の部類に入らないと言う考えであったであろう。百瀬は、それまで世界のどのメーカーでさえも不可能と思われていた軽自動車の限界に挑戦しようとしていた。彼は次の様な言葉を残していた。「通産省が出した国民車構想の数字はどだい無理でしたから、はじめから念頭にありませんでした。それに、車はそれぞれの設計者が独自性を発揮して開発される冪ものです」この日の懇談会では、山本、百瀬の計画案が略了承された。昭和30年12月9日の軽4輪車計画懇談会での決定を受けて、翌昭和31年1月から、百瀬の第2設計課は360ccの軽乗用車K10の開発に本格的にとりかかる事になった。先ず1月17日に三鷹と伊勢崎の両製作所による第1回の合同会議が三鷹の所長室で開かれた。会議に出席したエンジン開発チームの責任者である第2課長の菊池庄治は、百瀬の提案したR·Rを批判し、エンジンのメンテナンスや開発のし易さなどの観点から、フロント·エンジンドライブを主張した。しかし、結局は、百瀬のR·Rで開発を進める事となった。それというのも、百瀬が基本に捉えた「大人4人がゆったり乗れる車」にするには、足を伸ばしてもぶつからないようなスペースを確保しなければならず、そうなると、エンジンはどうしても後部にもっていかざるをえないからである。所で、百瀬がP1(スバル1500の型式)の走行試験や改良を進めていいる頃から、首脳陣の間では「P1の生産、販売は難しいのではないか?」との声がでていた。それに伴って「P1をスケールダウンした車ならどうか?」「スクーターに屋根をつけたキャビン スクーターではどうか?」「軽自動車なら、スクーターからそれ程大きな飛躍がなくて済むのではないか?」等と様々な意見がだされており、その情報は百瀬の耳にも入って来ていた。そこで百瀬としても、先行きがわからないP1の試験を続けながらも一方で軽乗用車の構想を思い描いていた。それが「大人4人がゆったり乗れる居住性」「小型乗用車並みの性能」に集約されたわけだが、当時、どの自動車専門家に相談しても、「軽では無理だ」ばかりだった。しかし、百瀬は考えた末に次の様な案を出した。「軽の大きさの中で大人4人乗れる様にするには、ペダルの位置を目いっぱい前に伸ばして、フロントタイヤの中心くらいにもってこなくてはならない。その為には、どうしてもリアにエンジンをもってこなくてはならない。全体のレイアウトは先ず最初にペダルの位置を決めて、それから図面を描いてみると、なんとか大人が4人乗れそうだった。ただ、ペダルの位置がずっと前にあるので、普通のドアにしたのでは、運転者は足が引っ掛かって降り難い。そこで、サイドパネルを大きくえぐり、しかもドアを前開きにする事で解決した」この方法で、約30cmのスペースを稼ぐ事が出来たという。これは、全長が3mに満たない軽乗用車にとっては、極めて大きいスペースであった。
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