№2 MV AGUSTA F4 | 世界珍ネタHunter!
1997年のミラノショーで初めて、カジバが開発中の直4モデルを発表する事で目にする事が出来た。発表から18ヶ月後に販売された市販車は単にスタイリングが美しいだけのマシンでは無く、日本製マルチと互角以上の性能を有し、同時に当時の日本車では希薄と言われていた操る快感を存分に持っていた。市販車の販売と同時期頃にマグネシュームを多用したモデルセリオエが限定300台で日本円にして580万円のプライスで販売されたが、瞬く間に完売となった。アグスタ F4 の特徴とでも言える4本のオルガンマフラーはパイプオルガンをモチーフにしたとも言われ、そう言った独創的な車体デザインを行った開発責任者だったマッシモ·タンブリーニに関心が寄せられる様になった。1940年代生まれのタンブリーニは、公道レースが盛んだったリミニで少年時代を過ごした。しかし、レンツォ·パゾリーニやジャコモ·アゴスチーニ、ヤーノ·サーリネンと言ったGPライダー達に憧れた彼が、1960年代後半に友人のヴァレリオ·ビアンキ、ジュゼッぺ·モッリと共に起こしたBIMOTA(社名に3人の名前の頭文字を取って命名)は、当初は2輪とは一切関係のない、空調機器の取り付けと修理を業務としていた。当時のタンブリーニにとって、オートバイは趣味の一つに過ぎなかった。とはいえ、彼のオートバイに対する知識と技術は一般人の範囲を超えていた。1960年代の終わりには、期待外れで走行性能がパッとしなかったMVの600GTをベースに独自のスーパースポーツを製作している。排気量を750cc迄ボアアップしシャフトドラブ駆動からチェーン駆動に変更し、フォンタナ製ブレーキやチェリアーニ製フォークを装備したこのカスタムマシンは、当時MVのテストライダーだったアンジェロ·ベルガモンテイも絶賛した程だった。その後、MVと比較すれば完成度が高くカスタム費用のかからないホンダCB750フォアを入手したタンブリーニは、レースに積極的な姿勢を示し、この情熱に刺激されたモッリと共に、1973年にビモータメカニカを設立する。以後、レース用パーツとフレームを生産すると同時に、HB1やKB1,SB1と言った日本製直4エンジンを搭載するオリジナルバイクを作り出したビモータは、少しずつであったが世界各国で名声を獲得していった。しかし、会社の経営方針を巡ってモッリと意見が対立したタンブリーニは1983年に同社を退社し世界グランプリを戦うロベルト·ガリーナのチームに移籍しRG500Γの開発に関与した翌年、ガジバのデザインスタジオを設立しようとしていたクラウディオ·カスティリオーニに誘われCRC(カジバ リサーチ センター)の一員となった。そしてこれ以後、GPレーサーV594やドカティ916などの開発を経て、1997年にF4を発表するに至った。
つづく 

