サーキット全体をレーサーの爆音に包まれている。というよりも、轟音が群れをなして走り回っているという方が正解だろう。午前11時半にスタートしたレースは、昼をまわってその緊張感の糸にゆるみが出はじめていた。なにしろ暑い、酷暑とでも言うべきか・・・売店や自動販売機では清涼飲料を買い求める者達で長蛇の列だ。正午をまわりメインスタンドや各コーナーに陣取っていたファンも食事のためバラバラの動きをはじめた。「こんな時が一番危ないですよ。」VIPルームでレールを見下ろす吉村が言う。「人間は緊張感をいつまでも維持することは不可能ですからね。どこかでゆるめなきゃ、逆に長丁場のレースを乗り切れないわけです。2人のライダーが、平均して3回交代し、1回当たり1時間半くらい乗るわけですけど、切れそうな緊張感を保ちつつリラックスするにはもう経験しかないと思うんですね」この年のヨシムラチームの4人のライダーはいずれも若かった。先ずAチームが辻本聡とテキサス生まれのケビン・シュワンツ。Bチームの2人は、大島行弥と宮崎祥司。辻本は前シーズンの全日本チャンピオンでもあり、この8耐もケビンとは別のペアーながら6位入賞、ケビンは3位と各々実績を残している。辻本が前年の全日本初優勝成し遂げた舞台裏には、ピーキーで扱い辛かったレーサーを少しでも出力特性を改善しようと淺川邦夫(現アサカワスピード代表)が其れまでの4-1集合から4-2-1集合を製作しピーキーな出力特性を改善してレースに優勝した経緯がある。「この時点では、オヤジさんには4-2-1の事は内緒にしていたんだよね。あの時、オヤジさんは肺ガンの手術をした後で入院してたんだけど、病院に行ってトロフィーを見せたら、「お~、よくやった!」と、物凄く喜んでくれた。それで、誰が言ったのかは覚えてないけど、「実は・・・」と切り出したわけ。するとオヤジさんは「フフフッ」って意味ありげに笑いながら、枕元から紙を出して、「これを考えたんじゃ」って、それがデュプレックスだったのよ。その場で説明されて、「これをやってみい」と。そしたら、バッチリ。集合はあくまでサイクロンでね。オヤジさんも病室でずっと考えていたんだね」と辻本は当時を振り返る。
Bチームの宮崎は、スズキ自動車の社員であり社内チームから昇格してヨシムラの契約ライダーとなった。また大島は、国内ロードレースの一つである西日本選手権で抜群の強さを見せ、いわば「二階級特進」の形でいきなり国際ロードレースにデビューすることになった。その速さに注目した吉村が、工場の仕事を社員として手伝わせながら一流のライダーに育て上げようとしている。生まれが同じ福岡県という点も少なからず作用していたのかもしれない。この4人が12番と30番の赤とガンメタリックのボディカラーのマシンで、疾走している。トップを行くのは、スタート時のポールポジションをそのままキープしたHRCの4番のマシン。エースライダーのワイン・ガードナーが、手馴れた鈴鹿サーキットを2分20秒台のラップで周回している。それに続く第2グループの中にヨシムラの12番がいた。このグループには、化粧品メーカーの資生堂がスポンサードしてCMで知名度を上げたTECH21チームや世界耐久選手権の第1戦、第2戦をものにしてきているロスマンズ・ホンダ。更には、3年連続して世界GP500でチャンピオンとなったケニー・ロバーツ率いるラッキーストライク・ロバーツも加わっている。このグループから略1周近く離された第3グループにヨシムラの30番のマシンがある。やはり、世界の壁は厚いという感じの位置につけているが、それでも日本人ライダーの中での上位は狙えそうだった。昼食時のスタンドのざわめきが納まりはじめた午後3時前、ヨシムラの12番が突然ピットに飛び込んできた。第1ライダーの辻本からケビンに交代して未だ間がない。予定外のピットインだ。場内アナウンスが「ヨシムラにトラブル発生」を告げている。マシンに跨った間々のケビンが、しきりに左側のシフトペダルを指して早口に喋っている。4月の鈴鹿で転倒して骨折、足首が思うように曲がらない辻本の為に蹴り返し式のバーディーチェンジを装着していたが、そのシフトペダルにトラブルが生じていた。チーム監督の吉村不二雄がうなずきながらメカニックに指示を与えていた。工具箱から必要な工具を取り出すメカニック達。だが、その手の動きがスムーズではない。焦った手が、馴れている筈の工具の場所を見失っていた。何度も同じ工具箱に手が伸びては、また引っ込む。1人がパドックに駐めてある大型トレーラーにパーツを取りに走った。ゆるみかけていたピットの緊張感が無理矢理張り詰めさせられたようで、全体の動きがギクシャクして見える。ピットの屋上から身を乗り出すようにしてカメラを構えていた1人が、「チェンジペダルが折れとるわ」と言ってるのが聞こえる。マシンが転倒したわけではないから、考えられるのは金属疲労による折損しかない。カウリングを外して問題の箇所を覗き込んだメカニックの1人が、「こんなとこ、壊れたこと無いのになあ」と、吐き捨てるように言う。ともかく、パーツを換装しなければならない。4位だったヨシムラの12番は、一瞬のうちに16位まで後退していた。更に追い討ちを掛けるように30番もピットに飛び込んでくる。これはもう明らかに転倒だ。右側ステップに、夏草と根元の土とともにからませている。Bチームを担当してるメカニックが素早くマシンをチェックする。うなだれたライダーの大島の肩をメカニックの1人が「そんなに落ち込むな、後は俺達に任せろ」とポンと叩いた。転倒の模様は場内アナウンスで報じている。「S字カーブで、インから強引な抜きに入った大島選手がコースを外れて転倒・・・」ようやく顔を上げた大島は、「なにが起きたのかわからへん」とつぶやいた。しかし、作業に没頭してるメカニック達は誰もかまわなかった。この時点で30番は40位以下迄順位を落としている。応急修理が済んだ2台のマシンがピットアウトしてサーキットに戻ってしまうとピットの中が急に寂しくなった様に感じた。先程迄の騒ぎが終ってしまうと、チームの置かれた現状が痛い程伝わってくる。ヨシムラAチームは追い上げている。そのマシンが、スプリントバイク並みのテールスライドをしながら懸命に上位グループとの差を詰めに掛かった時、いったんはヨシムラの存在を忘れかけていたスタンドの関心が再び12番に戻ってきていた。トップは4番のホンダレーシングのマシンが快調に走っている。ライダーのワイン・ガードナーのラップタイムは2分27秒台に落ちた。だが、2位との2周近い差は最も安全圏といえた。2位には、オーストラリアから来たヤマハのプライベートチーム・「マルボロ・ヤマハ」の17番がいる。レース開始前、ファンの注目を集めていた平忠彦のいるTECH21やロスマンズホンダ、或いはケニー・ロバーツのチームも既にリタイアしていた。中盤以降から始まった有力チームの相次ぐリタイアもヨシムラにとっては好運だった。一時はトラブルで16位迄順位を落とした12番は、およそ1時間半には3位まで浮上していた。8耐レースの賞金は1位500万円、2位300万円、3位150万円と決められている。勿論、4位以降も25位まで各々ランクに応じた賞金が用意されている。ただメーカーチームにとってこの賞金の額はいわば問題外といえた。1台のマシンに1位賞金の6倍以上もの製作費と、更にその何十倍にもなる開発費を計上するメーカーにとって、問題は賞金ではなく「常勝」のイメージだった。しかし、プライベートチームは違う。「3位よりは2位。2位よりは優勝というのは当然です。勝てば僕たちの商品が売れるんですから。ただ、150万円と300万円じゃ倍ですからね。その点でも上位を狙わなくちゃ僕たちはやってゆけないんですよ」と吉村は語る。その微妙な差がレース展開にも現れていた。忽然と安全走行に移りはじめたホンダレーシングのマシン。2位入賞を目指して競うプラィベーター同士。VIPルームに妻と孫を残し、足早にスタンドの階段を降りはじめる。その姿に気付いたファンがサインをせがんだ。吉村は、手術後の背筋の回復の遅れとそれに伴う右腕の不調を説明した。「その代わり、握手をしよう!」と、不調な右手を突き出す。少年ファンは、もうサインのことは忘れていた。感激した表情で、ゴッド・ハンドと呼ばれたその右手を握りしめる。スタンドを降りた吉村は、コースの地下トンネルの関係者専用通路を使ってパドックに入る。地下道を出た途端、スタンドでは感じられなかった熱風にあおられる。自分のチームのピット裏が見えると、足早にピットロードに向かった。2年振りにピットロードに立った吉村を、カメラの砲列が狙う。それに構わず吉村は、不二雄と簡単な打ち合わせを済ませる。後、50周。しかし、打ち合わせの結果は意外だった。サインボードがライダーに掲げられる。「勝負」親子二人の賭けがはじまった。勝負は2位のマルボロ・ヤマハがいつタイヤ交換するかにかかっていた。ヨシムラの計算では、2時間以上も取替えていない。この高温では極度にグリップ力が落ちているだろう。タイヤ交換に17番のピットクルーが要した平均タイムは1分30秒。ちょうど3位のヨシムラとのタイム差に当たる。17番がピットインし、タイヤ交換にこれまで通りのタイムをロスすれば、ヨシムラにも2位浮上のチャンスはある。午後6時半。オフィシャルがライトの点灯を指示した。ピットロードでは、17番のピット前にテレビカメラのライトが集中していた。間もなく17番のマシンが入ってくる。「タイヤを換えるか、換えんか、それが境い目だ」と吉村は言う。不二雄がうなずいた。17番がヨシムラのピット前を通過してエンジンを切った。その間々慣性で突っ走り、自チームのピット前できわどくブレーキングして停まった。ヨシムラのメカニックが、ストップウォッチを手に覗く。素早いタイヤ交換とガスチャージだった。タイムロスは40秒。それまでの平均所要タイムの半分以下だった。彼らも、やはりプロだったのだ。17番がコースに飛び出す。3位のヨシムラの12番との差は40秒程縮まっただけだった。それは、吉村の予想を大幅に上回っていた。2周程周回したが2台のラップタイムに差はなかった。40秒の差は少しも詰められていなかった。吉村はストップウォッチを傍らの若いメカニックに預けた。表情は吹っ切れていた。「もう無理せんと、安全に走らせろよ」ヨシムラの12番は3位でチェッカーを受けた。ピットに降りてきていた妻の直江が、初陣の30番が10位に入賞したことを吉村に伝えた。その報に接した時、吉村はこの日初めて心からの安堵の笑顔を見せていた。レース後、メーカーのファクトリーチームは1台のマシンに巨額の金をかけますがヨシムラは開発費まで含めるとその何十分の一にしかなりません。それでも、ファクトリーチームがヨシムラに苦杯を喫するのは何故か?との問い掛けに吉村は、「メーカーでマシンを現場でいじれるのはせいぜい10年ぐらいのものでしょう。後は管理職になり、一段ずつ階段を登ってゆくわけです。僕たちは、それこそ好きなだけやれるんですよ。私も、もう40年ですから。まだあと5年やそこらは頑張りますよ。その、身につけることの出来た技術の差じゃないですか。いくらマシン作りにコンピューターが入ってきても、乗るのは人間。作戦を立てるのも人間なんです」と、こたえていたのが印象的だった。
完