(株)ヨシムラ·JAPAN これがチームヨシムラの正式名称だ。その工場は神奈川県厚木市と愛甲郡とが複雑に入り組んだ相模川沿いにある。ヨシムラの本業はバイク用のチューニング·パーツの製造と販売にある。重くて静かなノーマルマフラーから軽量でマフラーを装着するだけで出力が向上し、しかも集合マフラー独特の排気音に魅了された者が、ヨシムラの集合マフラーをノーマルマフラーに代わって組み込む。ヨシムラのマフラーと言えば板付基地に駐留していた米兵達が、その排気効率の良さに驚嘆の声を上げたと言うマフラー。スチールパイプに砂を詰め、コークスの火で炙りながら吉村の手が微妙な曲線を造り出した。その絶妙な曲線の手曲げマフラーを作り出すその手を米兵達は「ゴッド·ハンド」と呼んだ。吉村が肺の三分の一を切除し病床のリハビリ中に発案したというチタン合金製のマフラーは、其れまでのスチールとステンレス菅とは違い大幅な軽量化を可能とし、その斬新な排気システムと相まって人気を呼んでいる。
こうしたマフラーを含むチューニングパーツの性能を実証する為にレースへの参戦。7月に開催される「8耐」を目指して戦いが始まっている。工場の2階のエンジン製作室には新品のGSX-R750のエンジンが20期以上置かれている。これらが、その後の2ヶ月間で頑健なマシンの心臓に生まれ変わっていく。ヨシムラはスズキ自動車から車両とエンジンの双方を提供されている。ただ、そこから先の改造はヨシムラ独自のものだ。吉村は言う。「私達は巨大なメーカーじゃありません。メーカーならば、一台のスプリントバイクに何千万も掛けて名誉を争うこともできるでしょう。それも、年間に12戦もね。私達は市販バイクを改造するレースだから出られるですよ。それも、世界を転戦する耐久選手権シリーズは無視して、その第3戦の鈴鹿だけを狙うんです。名誉なんか要りませんよ。勝てば日本のファンが注目し、パーツが売れるから勝ちたいんです」5月に搬入されたエンジンは直ぐに外部の塗装を剥がす作業に入る。粗い砂を高圧エアーで吹きつけるサンドブラストによって一気にエンジン表面の塗装が剥がされて行く。そして、より放熱効果の高いガンコート塗料を吹き付ける。ノーマルエンジンからレーサー仕様にする為の最初の工程を担当するのが当時、入社して未だ半年だった大堀洋之だ。「俺なんか、未だ駆け出しですからこんなことしか出来ません。でも、俺が一生懸命塗ったエンジンでマシンは走っているんですよね。今はそれだけで十分です。将来ですか?やっぱりオヤジさんみたいな一流のチューナーが夢ですね。」大堀は、この2ヶ月でテスト用と本番用、或いはレースをサポートする他チームのものを含めて、30期を越えるエンジンの塗り変え作業を行ってきている。こうしたエンジン塗装の塗り変え作業とは別に、シリンダーヘッド内部の壁面を研磨するグループもいる。工場の2階部分の一番奥の部屋、ここが彼らの仕事場だ。「ブーン」というリューターの研磨音が一日中響いている。そして、研磨の合間に繰り替えされる切削粉の洗浄のためのケロシン油が、部屋中いっぱいに刺激臭をまき散らしていた。「チユーニングは魔術じゃない」と言うのが吉村の口癖だ。画期的なパーツがあり、それを組込めばそれだけで馬力が上がるというようなことはありえない世界だと言うのだ。インジェクション車で出力制限されていてECUを交換するのは、本来の性能を単に取り戻すだけであってプラスαの出力向上が得られる訳では無い。話しが横道にそれてしまったがその基本は、いかに大量の空気をエンジンに吸気させられるか。いかに爆発の力をスムーズに動力として伝えられるか。そして、いかに効率良く排気できるか。今も昔もこの三点でしかないと吉村は言う。小倉隆はひたすらシリンダーヘッドのインテークマニーホールドの内壁を研磨する。研磨台に据え付けられたヘッドのマニーホールドの内部は表面がザラつき所々にバリが残りいかにも鋳造と言う感じの代物だ。ポート研磨はそれらを削り落とし磨き上げる。一日に何時間位やるのかとの問い掛けに小倉は答える。「レースのシーズンに入れば平均14時間ってところかな···バイクが好きだし、僕の削ったヘッドが他のマシンを押さえてトップに立っているのを見ると、何ともいえないんだよね」<でも、これでどの位の重量が削れるの?>「微々たるもの。ほんのグラム単位のものですよ」小倉は作業の途中で、ヘッドに耳を近付ける。<こんな音が良いわけ?>「そう。もうギシギシいう音しないでしょう?内部が滑らかになり始めた音なんですよ。覗いてみますか?」研磨台に視線をダウンさせる。小倉が良く見えるようにと、ヘッドの上方の穴に近くにあった蛍光灯を近付けてくれた。下方の穴から覗いて見る。そこは万華鏡の世界だった。鮮やかな金属の肌が光を弾き返して青氷のような冷たさを漂わせていた。磨き上げられた各パーツを組み立て、最も効率の良いセッティングを模索する者。仕上がったエンジンのテスト運転に立ち会い、3日も下宿に帰れないとぼやきながら、目の輝きだけはそれと正反対の気持ちを代弁している者もいた。工場の最年長、大矢幸二(現大矢技研代表)
はそういう青春をこんな風に表現した。「片輪だと思います。そんな奴らばっかりの吹き溜まりかな。だって、世間から見ればバイクは受け入れ容れられないものらしいし、そんなものに夢中になっているわけですからね。僕はね、バイクを50台も持っているんですよ。嘘じゃないですよ。本当です。クラシックから最新のやつまで、50台です。なんとなく中途半端が嫌で、中古の良いのを見つけちゃ登録してたらそうなってたんですよ。それだって、どうしてそんなに集めたのか自分でもちゃんと説明なんかできないです。四輪と違って、自分の手足を全て使って操縦できるし、危険とスピードが背中合わせで目の前にあるところも魅力だけど、なんでこんなに入れ込んできちゃったのかは上手く説明が出来ないんですよね」8耐レースを2週間後に控えた7月半ばの深夜、工場のひとつだけ点いた照明の下でチーフメカニックの竹中治(現ブライトロジック代表)が一人で頑張っていた。すっかり出来上がったマシンの動力装置の改修に取り組んでいる。「バイクは風ですよ」と竹中は言った。「その風を起こす手伝いが僕達。ライダーは、ちょっと気障な言い方だけど、又三郎。僕らが一生懸命やればあいつらも必死で走る。こっちが手を抜けば向こうもね。だから、やるんです。もう一回、強い風を吹かせてみたいですからね」頬がげっそりと落ちた竹中の、目はキラキラと輝いていた。誰も居なくなった工場のフロアーで、唯一人黙々とマシンに寄り添うようにして作業をする竹中の姿が美しかった。
次回につづく