2人は雑念を振り払うかの様に飛行前点検に取り掛かる。外部点検を終え操縦席に乗り込み計器のチェックを行った際、燃料計を見た江川が呟いた。「本当に燃料は往復分しかいれてねえなあ」吉村は無線機のスイッチを受信専用に切り換えた。「解散!」その声だけが、不思議に操縦席内にも届いてきた。視線を上げた2人の前を、搭乗機に急ぐパイロットが走り抜けて行く。緊張しきった表情が、一瞬機内の2人に気付き軽く会釈していったように思えた。ひょろひょろとした華奢な体つきが印象に残る。「未だ子供だな···。」江川の声で吉村が見上げると、キャノピーに反射して映る後姿の江川の肩が小刻みに震えていた。やがて、基地全体をエンジンの爆音が包み込んでいった。月明を薄いベールのような雲が覆いはじめていた。今、銀河は西風に乗って飛行を続けている。その暗さ増してきた世界に12個の火が見えた。各機のマフラーから洩れる火。まるでひとだまだと吉村は思った。そんな馬鹿なことがあるものかと思いつつ、彼らの確実な死を前にしてその連想を断ち切れない自分がもどかしかった。操縦席の江川はまだ良い、じっと前方に神経を集中し操縦に専念する事が出来るのだから···しかし吉村は、航空機関士と言う職務を果たすにはあまりにも飛行時間が短く、送信機は敵に逆探知される為に封印された間々だ。機内のごく限られたスペースから視線を転じてみると、そこにはやみくもに死に向かって突き進む12個の火があるばかりだった。だが、現実世界に戻ってみれば、その12個の火は編隊というには程遠いバラバラの飛行を続けている。パイロットの技量低下はいまにはじまったことではなかった。編隊飛行すら満足に出来ない真直ぐ飛ぶだけが精一杯のパイロットに夜間の特攻を命じてどんな戦果が期待できるというのだろうか?12機の機種もまたバラバラであった。爆装した零戦を中心としてはいるが、艦上爆撃機の彗星や既に旧式化していた九九艦爆までが投入されていた。
吉村の脳裡に、滑走路で待機していた銀河の横を自分の乗機を目指して走り去った少年の姿が浮かんだ。「いったい、どの機に乗っているのだろう」吉村と江川が暗黙のうちに避けてきていた特攻隊員との対面。自分たちより年下にもかかわらず死に赴いていく事への遠慮。或いは気後れとでもいった屈折したのもに拠っていた。そうした中で、ただ1人だけ目にした少年。あの少年の噛みしめた頬を紅潮させ、機内で待機していた2人に軽く頭を下げてて去って行った。あの少年の純粋さと作戦が露呈する無謀さ。「吉村、そろそろ近いぞ!」吉村の想いはそこで断ち切られた。宮古島上空を通過して10分が経過していた。銀河は高度5000メートルに上げている。後続の12機は間隔を広げ始めていた。沖縄本島から久米島までの狭い慶良間列島海域に米軍は大小1500隻にものぼる艦船を送りこんでいる。その艦載レーダーは、吉村達が新竹基地を離陸して間もなく動きを探知してる筈だ。吉村の膝の上に広げた航空図が小刻みに震えていた。口の中がカラカラに乾いているのがわかる。敵の夜間戦闘機に捕まらない為に、編隊はちぎれ雲の間に潜り込むような格好で飛行をつづけた。その雲に突っ込む度に機体が大きく揺られる。吉村は再度航空図で現在位置を確認した。「間もなく敵機動部隊直上!」身を寄せて前方の操縦席の江川に告げる。暗い紫外線灯に照らされた江川の横顔がうなずき、落ち着いた声が反ってきた。「宜候」銀河は大きくバンクする。左右の翼を振って誘導飛行の終わりを後続の12機に告げた。反転上昇に映る銀河。その下をバンクで答えながら12機が突入態勢に移った。その瞬間。暗闇の海面から何万とも知れぬ対空砲火が上空に向かって射ち上げられた。「不謹慎と思われるかもしれませんが、その時の印象を正直に言えば綺麗だというのが本当です。オレンジの光が縦横に走って、夜空に弾幕を作り上げました。一瞬ですが本当に見惚れてました。」反転上昇する銀河の後部座席に吉村は居る。首をまわせば、眼下の世界が見えた。夜空を埋め尽くす対空砲火網の中を12機の特攻機がダイブして行く。その時、受信機が電波を受信した。「ワレ奇襲に成功ス」「ワレ奇襲に成功ス」
次回へつづく