吉村秀雄と爆撃機「銀河」 | 世界珍ネタHunter!

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吉村秀雄は戦後実家の家業であった鉄工所の商売の足として使用していたオートバイに興味を覚え、バイクショップ「ヨシムラモータース」を開業した。吉村は戦中にシンガポールに駐在していた事から英語が話せた為、バイク好きの米兵達が吉村の店に出入りするようになった。父親のような吉村の存在とチューニングの腕に惚れ込んだ米兵達が「オヤジ」の意を篭めて「POP」と呼んだ。板付基地で行われたドラッグレースに出場した吉村は、オートバイの加速に飛行機の離陸に通じるものを感じ以後、吉村はレース用にオートバイのチューニングを手掛けるようになった。その吉村が戦中に海軍に徴用された民間航空路のフライトエンジニアであった事はあまり知られていない。ましてや、沖縄に向かう特攻機の誘導機の役割を一度だけ務め、その一度だけ務めた誘導機が陸上爆撃機銀河だとは知る由もないだろう。
吉村は昭和12年6月、横須賀海軍航空隊に第8期飛行予科練習生として入隊している。15歳の時であった。しかし、その2年後には兵役免除として除隊している。「右の胸膜炎で結核ですね。本当に悔しかったですよ。小さい頃から飛行機に憧れていて、その一歩まで行きながらなれなかったんですから···でも、なっていたら今の自分は無いでしょうね。同期で入隊した者は、殆どが戦死してます。」その後の1年半を病気静養に努める一方で、吉村は民間航空の大日本航空に入社する。「パイロットの夢断ち難く···というところなんでしょうが、実はもう無理でしたから、目指したのは航空機関士でした。今でいうフライト·エンジニアというやつです。」福岡整備工場で研修生として航空機エンジンの整備を学んでいた吉村は昭和16年10月に念願の航空機関士の資格を取得した。この時のエンジンとの出逢いがその後の人生を大きく左右して行く。「確か、昭和17年の始め頃にはもうシンガポールに進出してましたね。正式部隊名は海軍第二徴用輸送隊です。身分は大日本航空の社員のままで、給料なんかもそのままです。運航指揮も社員が当り、ちょうど海軍のチャーター便という感じでした。ただ、出先での宿舎や食事の問題があるんで海軍嘱託ということになってました。待遇は準士官並です。」

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