吉村は昭和12年6月、横須賀海軍航空隊に第8期飛行予科練習生として入隊している。15歳の時であった。しかし、その2年後には兵役免除として除隊している。「右の胸膜炎で結核ですね。本当に悔しかったですよ。小さい頃から飛行機に憧れていて、その一歩まで行きながらなれなかったんですから···でも、なっていたら今の自分は無いでしょうね。同期で入隊した者は、殆どが戦死してます。」その後の1年半を病気静養に努める一方で、吉村は民間航空の大日本航空に入社する。「パイロットの夢断ち難く···というところなんでしょうが、実はもう無理でしたから、目指したのは航空機関士でした。今でいうフライト·エンジニアというやつです。」福岡整備工場で研修生として航空機エンジンの整備を学んでいた吉村は昭和16年10月に念願の航空機関士の資格を取得した。この時のエンジンとの出逢いがその後の人生を大きく左右して行く。「確か、昭和17年の始め頃にはもうシンガポールに進出してましたね。正式部隊名は海軍第二徴用輸送隊です。身分は大日本航空の社員のままで、給料なんかもそのままです。運航指揮も社員が当り、ちょうど海軍のチャーター便という感じでした。ただ、出先での宿舎や食事の問題があるんで海軍嘱託ということになってました。待遇は準士官並です。」
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