エンジンチューンはイタリアのエドアルド・ウェーバー社製のキャブレター3個を組合わせれば、25馬力近くパワーアップさせる事がわかった。但しウェーバーの3連キャブの54Bになると、セッティング等が難しくなった。キャブのセッティングが合いエンジン出力が向上してくるとエンジンが頻繁に壊れて行った。エンジントラブルを陰で支えていたのは、戦前の航空機エンジンを取扱っていた技術者でスクレッパーでメタルを削って当たりを調整したり、クランクシャフトをサンドペーパーで磨き、酸化クロームで鏡面仕上げしたりし、デットネーションによるバルブやピストンの溶損対策としてアブガスを使用したり燃焼室を研磨したりした職人的な技だった。他社ではこう言った技術を知らなかった事で、クランクシャフト等のメタルの焼き付きで苦労していた。
エンジン出力と合わせて車体の軽量化ではボディ外板の鋼板の板厚を0.8mmから0.6mmへと変更され約70kg程の軽量化を果たした。エンジン出力が向上し車体重量を軽量化した事から、それ迄のタイヤではグリップしきれなかった事から初めて幅広のレーシングスリックが装着された。当時、ブリジストンタイヤがレーシングスリックタイヤを製造していたのだが、トヨタとの契約から他社への販売を許可されずやむ終えず海外から輸入された。
