能力を最大限に発揮する侍の真剣勝負 | のんコ* ジャパン

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いつもありがとうございます!塩見典子です。人生は一本の映画のようなもの。観術に出会い 人間の無限の可能性と尊厳性・日本のミッションを確信し、和心で世界を結ぶ基軸教育を日本から発信する JAPAN DERAMに取り組んでいます。 〜ご縁に感謝して〜

こんにちは!塩見典子です。


夏の陽射しになってまいりましたが、皆さまお元気でお過ごしですか?
私は福岡に来て2か月、おかげさまで元気に過ごしております。


さて、今日は「侍の真剣勝負」について考えてみたいと思います。


私が学生の頃、ある先生に「もっと真剣に走れ!」と叱られたことがありました。
その時、ハタと「真剣に走るってどういうこと??」と疑問に思ったのです。


私たちは普段「もっと真剣にやろう」とか「真剣勝負!」など言ったりしますが、そもそも「真剣」とはどういう状態なのでしょうか。


「真剣勝負」とは、読んで字の如く、木刀ではなく、真剣を使って勝負に挑む命がけの勝負です。
侍が真剣と真剣を交えて勝負をする時、一瞬でも考え事をしていたら切られてしまいます。


考えが消えた、感覚の世界
時間が消えた、今ここの世界
存在が消えた、動きの世界


あらゆる差が取れた、悟り(差とり)の境地にある時、それが「真剣」であり、能力を最大限に発揮できる状態なのだと思います。


人間の五感覚脳の認識だけに依存した状態では「真剣」になることが出来ません。


なぜならば、人間の五感覚脳は常に部分だけをとって、違いだけをとって、過去とつなげて、有限化して、考えの走る道を構築しているからです。


考えの走る道は、一度構築されればオートマチックに、その道を考えが走るようになります。
「AだったらB」と言うように、自分の意志とは関係なく考えが走るようになるのです。
自分の意志で、自分の考えをコントロール出来ない状態では、「真剣」になることが出来ません。


五感覚脳に観点固定されて部分の存在の部分の変化しか認識できないアナログ認識では、今ここを感じることが出来ないのです。


観点の次元上昇を通して、今ここが有ったり(1)無かったり(0)する全体の存在の全体の変化を認識できるデジタル認識ができる時、誰もが「真剣」になることが出来るようになります。この心の境地は、今ここ有と無を同時に認識する侘(わび)寂(さび)の心ともつながります。


侍が真剣勝負の中で培った悟りの感覚を、論理とイメージで体系化してお伝えしているのが観術の世界です。


今ここ真剣勝負の侍の心を育てましょう。


塩見典子


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