のんコ録 1 幼少~少年 | のんコ* ジャパン

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いつもありがとうございます!塩見典子です。人生は一本の映画のようなもの。観術に出会い 人間の無限の可能性と尊厳性・日本のミッションを確信し、和心で世界を結ぶ基軸教育を日本から発信する JAPAN DERAMに取り組んでいます。 〜ご縁に感謝して〜

‘のんコ録’では三十路を機にどのようにのんコが成立ったのか書いてみようと思う。

言葉にすればありきたりな表現になるが、偶然の積み重ねにみえる毎日が今の私をつくり、たくさんの愛に囲まれ育まれたのだと思う。

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京都府の田舎に生まれた私は、自然に囲まれ、ゆっくりと育った。
幼少期はとにかくのんびりとマイペースに時を過ごした。


性格的なものでもあったと思うが、身体があまり丈夫な方ではなく、物理的に何をするのにも体力が追いつかず、みんなの後ろからついていくのが精一杯であった。


体力も学力もずば抜けて劣っていたので、周囲と比較することもなかった。とにかく時間のかかる子どもで、食事を取るにも消化するのに体力が追いつかず、ひとつの事をするのにも何度も反復しなければできないのである。
本人からするとまったく一生懸命生きており、大人達も「とにかく健康に育てばよい」と見守ってくれてくれた為、ひがむことなくまっすぐに育つことができた。


息をすったり吐いたり、足を一歩一歩だして歩くという当たり前の事に一生懸命であった。
周囲からどう思われるとかよく見せたいとかそんな高度な思考は生まれず、息をすること歩くこと周りの変化についていくことが私の仕事であり、余裕がある時には太陽があたたかいなぁとか、風の音の心地よさなどと感じるのである。


そんな平和な毎日の中で革命的な事件が起きる。ある先生のある一言。
    「人は皆死に向かって生きている。今を大切に生きよ。」
まだ10歳にも満たない私には大変なショックな言葉であった。‘死’という概念はあったものの、まさか自分が死ぬとはそれまで一度も考えたことがなかったのである。それを機に死ぬと言うこと、生きると言うこと、人間とは何なのか、人生とは何なのかが私の中心テーマとなった。


その日、学校から戻り一目散に母親に問い詰めた。「私が死ぬってわかっているのに、なんで生んだりなんかしたの?!」死への恐怖感と、無条件に愛してくれるはずの母親がそんなに怖いことを私に経験させようとしているという矛盾に混乱していたのだ。母親が目を丸くして答えに困っていたのを今でも覚えている。

困る母の姿に申し訳なく思い「じゃあ、死んだらどうなるのかだけ教えて」と譲歩するも返答は返ってこず。忙しい日常の中で突然そんな質問を投げかけられた母親もびっくりであったと思う。父親に聞くも、先生に聞くもしっくりくる答えは返ってこず。

‘自分が死ぬ’と言う恐怖に加え、大人は完全であると思っていた絶対的信頼が崩れ‘正しいことを知っている人は誰もいない’と言う事実に気がつく。誰も答えを知らない海の中でどこに向かってどう生きていけばよいのか途方にくれた。


現在の私を築く大きな礎となった疑問である。