最近、こんなことを考えます。
私たちはONE FAMILY UNDER GOD といって真の御父母様の
理念を共有していますが、なかなか出来ないこともたくさんありますよね。
家族、兄弟姉妹だったらその人の名前を知らないはずはないし、挨拶だってするものだと思います。
相手に興味を持つこと、何かに興味をもつこと、そこから家族愛が始まると思うのです。
相手に興味を持つことで、その人の特徴がわかり、その人が喜ぶにはどうしたらいいかがわかるのです。
相手に興味を持たずに無視することがあるとすれば、とてもさみしいことです。
どんな兄弟姉妹に対しても快く挨拶をし、受け答え、お互いを尊敬することが出来れば、とてもうれしくは
ありませんか?
この人は偉い人だから挨拶をして、この人はあまり関係ないから挨拶しないというのは
ONE FAMILY UNDER GOD を実践しない人になってしまうと感じます。
どんな理由があるにせよ、せめて同じ空間の中で過ごすことがある兄弟姉妹のことに
興味を持ってほしいと感じます。
もし、何かの理由で、挨拶しなくてもいいとか、話をする必要が無ければ話をしないとかいう内容が
有るとしたなら、もうすでにそれはONE FAMILY UNDER GODではない気がします。
皆様は、本当に神様の前に皆が兄弟姉妹だと思っていますか?
思っているなら、それが実践されていますか?
外に向けてはするけど内に向けてはしないとか、非原理ではするけどみむねではしないとか、
霊の子にはするけど他の方にはしないとか。
心当たりはありませんか?
み旨は内部だけでやっているわけではないし外部だけでもありませんのでバランスが必要です。
もちろん内部伝道も必要、外部伝道も必要なことです。
しかし、内部で出来ないことは、外部に出来るでしょうか?
外部で出来て内部で出来なかったらどうでしょうか?
本物ではないと感じます。
内部も外部も重要だと思うのです。
基本的に、私達が伝道するのは非原理圏の人たちです。
まずは、その非原理の人たちに対して、長子権を立てるにはまずどうすべきかを考える必要があると
思うのです。
信仰だけを極めたとしても、簡単に非原理の人を伝道することはできません。
非原理に対して本当に力を持つには少なからず、本人の実力も必要です。
実力がある人を伝道するとしたらなおさらです。
信仰だけでは、宗教と科学を統一することはできないではないですか。
信仰は土台であり、それに基づいて実力を付けてこそ、非原理の実力者を伝道することが出来ると思うのです。
私達には時間が無いのです。
私は、もっともっと、信仰をたて、知恵を付け、挑戦し、信仰ゆえにここまで来たんだよ。と
証しすることが出来る日を夢見ているのです。
※これは、あくまでも私が考えることです