小児がんの発信を続けていると、「何を、どこまで、どう言うか」で必ず立ち止まります。
私にとって、薬の話もまさにそうです。
前提として、私は専門知識を持った何者でもありません。
それでも今回、Xでこの話題が上がってきた以上、あえて触れておきたいと思いました。
そのためにまず、私の娘の話として書いておきたいことがあります。
娘は初動から、いわゆる標準的な流れの中だけで治療を受けてきたわけではありません。
入院初日からPICUで救急処置となり、数日経ってもステロイドだけでは白血球は十分に下がらず、むしろ上昇し、BLASTも95%まで達しました。
そのため、入院から一週間で第二世代の分子標的薬であるダサチニブ(スプリセル)の早期導入が行われました。
その後、BLASTは抑え込まれ、血液像は一時的に安定しました。
PICUを出た後、娘はフィラデルフィア染色体陽性急性リンパ芽球性白血病、一般にPh+ALLと呼ばれる疾患の小児向け臨床試験に参加しました。
ただ、その時点で医師からは、MRD値によって移植と維持療法の分岐がある試験であっても、娘は骨髄移植を前提に進むことになるだろうと説明を受けました。
実際、入院した月のうちに両親のHLA検査も行っています。
その後、治療抵抗性の経過や変異解析も含めて診断は二転三転し、最終的には慢性骨髄性白血病リンパ性急性転化、T315I点突然変異ありという整理になりました。
つまり、CMLの急性転化としてALL様の像を取りつつ、第一世代・第二世代の分子標的薬が効きにくいゲートキーパー変異を伴う状態でした。
さらに、好中球など成熟した骨髄系細胞にもBCR::ABL1が検出されていたこと、minorではなくmajor BCR::ABL1だったことなどから、単純なPh+ALLとしては捉えきれない可能性が示唆されていました。
もちろん、Ph+ALLとCMLリンパ性急性転化の境界は簡単ではなく、major BCR::ABL1だけで一義的に決まる話でもありません。
ただ、少なくとも私たちのケースでは、フィラデルフィア染色体をもつこの病態において、分子標的薬の位置づけが治療の中心的な鍵になっていました。
ここから本題に近づきます。
分子標的薬の登場で予後が大きく変わった代表的な疾患が、CMLです。
2001年にイマチニブ(グリベック)が登場して以降、CMLの治療は大きく変わりました。
それ以前のCMLは、現在よりはるかに予後不良で、数年の経過の中で進行期や急性転化に至りうる病気でした。
そして急性転化は今なお、疾患の進行速度、治療抵抗性、予後の厳しさという意味で、白血病の中でも最も重い局面のひとつに数えられます。
だから私は、効く薬があること、治療の地平が更新されることに敏感です。
そして同時に、それがすべての疾患や、すべての罹患児に、同じ時期に同じ形で届くわけではないことも、自分たちの治療経過から承知しています。
治療についていえば、娘は小児での知見が成人ほど十分ではない中で、第三世代分子標的薬であるポナチニブ(アイクルシグ)を使用しました。
また、CD19陽性であったことから、ブリナツモマブ(ビーリンサイト)を併用するに至りました。
こうした薬剤は、一般に成人での知見が先行し、小児での位置づけは後から固まっていくことが多いとされています。
しかし、ほかに手がない局面では、「十分に整った後」を待てないこともあります。
娘は製薬会社向けにもモニターとして登録することになりました。
このように、ある薬の登場によって、疾患の地平が大きく変わる瞬間があります。
娘について言えば、たった5年違えば、移植にたどり着くための橋が架からなかった可能性があります。
この時間差は、ある人にとっては短く見え、別の人にとってはあまりにも長いものです。
白血病では、血液や骨髄から検体を取り、反復して病勢や分子異常を追いやすい特徴があります。
骨髄穿刺は決して軽いものではありませんが、固形腫瘍のように病変そのものへ何度もアプローチする困難さとは事情が異なります。
血液腫瘍では、そうした検体から分子異常を見つけ、その異常を狙う薬を考えるという流れが比較的取りやすいとされています。
しかし、その前提となる「狙うべき異常が見える」ということ自体が、すべての疾患で同じように与えられているわけではありません。
生検が難しい、あるいは繰り返し評価しにくい腫瘍では、十分な材料が集まりにくくなります。
そうなると、分子標的薬という考え方そのものに届きにくくなります。
あるいは、分子の異常が見えても、それに対応する薬がまだ存在しないこともあります。
この差は非常に大きいものです。
だからこそ親は、理屈だけでは割り切れない状況に置かれます。
生検ができない、十分なデータがない、小児の臨床が整っていない。
それでも目の前で病気が進んでいくなら、「試してみるしかないのではないか」という思いに向かわざるを得ません。
それは科学的に整った判断ではないかもしれませんが、治療の選択肢が乏しい現場では現実的な選択でもあります。
そして私は、薬の話をするとき、いつもそこで言葉を失います。
薬がある疾患と、まだ薬がない疾患。
分子異常が見つけやすい疾患と、そこにたどり着くこと自体が難しい疾患。
時間が味方したケースと、時間が間に合わなかったケース。
その非対称があまりにも大きいからです。
効く薬があることは希望です。
しかし、その希望は、誰にでも同じ形で与えられているわけではありません。
だからこの話は、薬を称賛するためのものでも、誰かの選択を正当化するためのものでもありません。
どの子にも同じ速度で治療の進歩が届くわけではないという、その不均衡を忘れたくないという思いから書いています。
そして、その不均衡が現実に存在する以上、
「待つしかない側」に置かれている疾患や子どもたちがいることもまた事実だと考えています。
分子異常が見えやすい疾患、薬が開発されやすい領域、臨床試験が進みやすい構造。
そうした条件が揃ったところから治療は前に進みます。
その一方で、そこに乗れない疾患が取り残される現実があります。
私はたまたま、薬が存在する側の経験をしました。
しかしそれは裏側に、まだ届いていない側があることと常に隣り合わせです。
だから今回、とある署名をしました。
何かを知っているからでも、正しい判断ができるからでもありません。
ただ、「まだ薬がない」「十分に試すことすらできない」という状況に置かれている人たちがいるという現実に対して、何もせずに通り過ぎることができなかった、それだけです。
すべてが救えるわけではないことも、ひとつの行動で何かが劇的に変わるわけではないことも理解しています。
それでも、せめて同じ時間の中で、届く側と届かない側の差を、少しでも見過ごさないようにしたいと考えています。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。
今回私が署名したのは、未承認薬であっても、本来届く可能性がある治療の機会を失わないようにしたい、という主旨のものです。
本文で書いた通り、薬がある側と、まだ届いていない側には構造的な差があります。
その差は、時間や制度によって生まれている部分も大きいと感じています。
その現実に対して、せめて無関心ではいたくないと思い、署名しました。
詳細は以下のリンクにあります。
ご自身の判断で構いませんので、一度目を通していただければと思います。