小児がんは個人の悲劇ではない。
それは、この社会の構造的な非対称性を映す鏡だ。
医療者と患者、専門家と親、国家と個人、どんな関係にも、絶対的な非対称がある。

知識も、時間も、選択肢も、リスクも、均等には分配されていない。
それでも現代社会は即時的な双方向性を理想とする。
SNSやメディアがそれを加速させ、発言も感情もリアルタイムで跳ね返ってくる。
だがその即時性こそが、非対称な現実を覆い隠す。

命の現場では、誰もがすぐに応答できるわけじゃない。
主治医が黙る理由、親が叫ぶ理由、そして黙って見ている社会。
そこにはいつも、時間差と情報差がある。

治療の過程での苦痛や副作用は、物理的ストレスとして理解されやすい。
けれど、本当に厄介なのは社会的、心理的な影響だ。
時間をかけて、静かに、じわじわと変わっていく。
体だけじゃない。心も、人間関係も、社会とのつながりも。
退院後の孤立、支援の風化、制度の摩耗。
それらは化学反応のように進み、誰も気づかないうちに構造を変えていく。

そして、その根底には制度設計の構造的な欠陥がある。
それは、誰か一人の責任ではない。
社会全体が「想定外」を想定せずに設計されてきた、その積み重ねだ。
研究資金の偏り、地方医療の格差、教育現場の無理解、
どれもが、静かに少数の命を周縁へ押しやっていく。

社会は8割を救えれば十分とどこかで思っている。
だが、小児がんはその残りの2割の中にある。
パレートの法則は経済では通じても、命には通じない。
むしろ、2割をどう扱うかにこそ、社会の成熟が試される。

この世界は本質的に非対称であり、即時的な双方向性なんて幻想だ。
けれど、その非対称を否定ではなく認識として受け入れたとき、
はじめて真の支援と理解が生まれる。

小児がんの啓発とは、みんなが同じ立場で理解し合うことじゃない。
非対称なままでも、理解を試み続けることだ。

現場には、構造的な非対称と、遅れた共感がある。
即時の反応よりも、時間をかけた理解。
一時の声援よりも、構造を変える支援。

それらを必要としていると考える。