ドーラの寝室にある若かりし頃のドーラの古い写真の意味について
初めてラピュタを見たときは「ドーラの寝室にある若かりし頃のドーラの古い写真」と、その少女の意味がわかりませんですた。
せいぜい、ドーラのようなお婆さんにも、かわりい少女時代があったのだなーとをかんがえたものです。
やっと、この写真が持つ意味が充分に認識できたのは、映画ラピュタの公開から20年近くたった2003年のことでした。
その年、宮崎駿監督は音楽アルバムを作ることを思い立ったそうです。
そして、こんな手紙を作曲家たちに出しました。
「新しい良い歌がほしいとつくづく思っています」
「沢山の歌が今も生まれつづけ、古くからの良い歌も沢山あるのですが、今、この時代、この時、この国から良い歌が生まれた! と感動して、つい口ずさみたくなる歌が出現したらなぁって思っています・・・・・」
そして、この詩を作者さんたちに送ったそうです。
「お母さんの写真」
アルバムの古い写真の中で
色あせた麦ワラ帽子かしげて
笑ってる
小さな女の子
白く光ったエクボ
まぶしい笑顔
お母さんが小さな女の子だった頃の写真
帰らない遠い夏の日の
届かない あこがれ
サルスベリ 影おとす古い家の
門の脇
知らない仔犬だきしめ
笑ってる
小さな女の子
ゆれる短いおさげ やさしいひとみ
お母さんが小さな女の子だった頃の写真
帰らない遠い夏の日の
届かない あこがれ
お母さんが小さな女の子だった頃の写真
いつまでも変わらぬ輝き
遠い夏の日
この曲こそ、ドーラの寝室にかざってあった老婆の少女時代の色あせた古い写真と同じものを表現しているのではないかとおもったのです。
シータも、ドーラも、おさげ髪である理由もこの詩を読めばわかりますね。
まだ病気もせず、小さな女の子だった頃のお母さんと一緒に冒険することこそ「天空の城ラピュタ」という作品に秘められた最大の思い出です。
そして、「届かない あこがれ」だったのではないでしょうか?
天空の城ラピュータには、宮崎駿監督の「思い出とあこがれ」が凝縮している物語だったのですね。
それに、共感したわたしは、何回も何回も読みました。
でも、飽きなかった作品だったのですね。