【各国から使者来る】

天智十年(671)正月九日、

高麗、上部大相可婁等を遣わし調を進上した。

十三日、百済鎮将劉仁願は、李守眞等を遣わして上表した。

 中略 

秋七月十一日、唐人李守眞等・百済使人等、一緒に帰国した。

【考察】

天智十年(671)正月、

668年に唐・新羅軍の攻撃によって滅亡した高麗から使者が来た。

唐の羈縻政策で国としての体裁は維持しているのであろう。

あるいは唐の指示によるものかもしれない。

さらに百済に駐留している唐の鎮将劉仁願は

李守眞等を派遣してきた。

李守眞等は半年間滞在して同年七月に帰国している。

さらに同年十月には新羅が金万物等を派遣してきた。

前年の670年には半島の統治策をめぐって

唐と新羅が戦争を開始している。

そうした情勢の中で、

唐、高麗、新羅が倭国に遣使しているということは、

唐・新羅戦争において

倭国がキャスティングボードを握る状況になったとも考えられる。