【藤原宮に存在する先行条坊跡】

「藤原宮の下層では藤原京に敷設されたものと

同じ規格の条坊道路が通されています。

藤原宮に先行する条坊という意味で『(宮内)先行条坊』とよんでいます。」

「(大極殿址の北側には)中央に大きな南北道路が通っています。

これは藤原京の朱雀大路にそのままつながる道路なのですが、

大極殿の基壇の下に消えていくのが分かります。

つまり、藤原京条坊は藤原宮部分を含めて一体的に施行され、

藤原宮部分では造営にあたって埋めたてられたと考えられます。」

藤原の中に藤原があり、藤原の中に大極殿がある、ということか?

 言葉の定義に注意する必要がある!

「先行条坊は現在、藤原下層のいたるところで検出されています。」

【宮地未定説】

「藤原宮の位置が、条坊敷設当初には厳密に決まっていなかったため

とする意見があります(これを宮地未定説と呼びたいとおもいます)。

先行条坊が宮外の藤原京条坊とおなじ規格で作られていることに加え、

藤原宮の下層でも建物や塀が建てられ、

宮外と同じように坪内が利用されていた時期があるため、

当初はその場所が藤原宮になることが決定していなかった

と考えるのです。

『日本書紀』には、条坊施工がある程度すすんだ天武13年(684)3月に、

天皇が「宮室の地を定」めたという記事があるのですが、

これも宮地未定説では無理なく理解できます。」

先行条坊が宮外の藤原京条坊とおなじ規格で作られていた。

藤原宮の下層でも建物や塀が建てられていた。

当初はその場所が藤原宮になることが決定していなかった。

【測量基準説】

「藤原宮は先行条坊を基準に設計されている。」

「先行条坊は宮・京を設計するための測量成果を土地に記す

という意味もあるのだから、

宮建設予定地にも条坊施工がなされていることは不自然ではない。」

※宮地が決まっていないのに京の造営を始めることはありえないと

 「宮地未定説」を否定している。

測量基準説に対する疑問点としては、

「先行条坊を厳密に利用しているといえるのは

先行朱雀大路計画線(道路中心線)および

これと先行四条大路計画線との交点だけですので、

測量基準説では宮内にくまなく条坊側溝を掘削した理由をうまく説明できない。」

「藤原宮造営時には、すでに先行条坊の側溝は埋め立てられていますし、

埋め立てから藤原宮建物の建設開始までには数年の時間があくことも、

測量基準説には不都合な事実に思えます。」

【懸案事項及び課題】

先行条坊が藤原京と同じ基準で作られているのは、

先行条坊と藤原京の造営主体が同じであった可能性が高いことを

意味しているのだろうか?

先行条坊の造営年代を確定することはできているのだろうか?