謎の女王国のとりこⅱ
倭人伝には「南至邪馬壹国。女王之所都(南邪馬壹国に至る。
女王の都するところ)」と一ヶ所だけ出てくる。
一ヶ所にしか出てこない。
この「邪馬壹国」を一般に「邪馬臺国」として通用し、
当用漢字に「臺」の字がないので、「台」を代用させて「邪馬台国」と書き、
「邪馬台国」は大和に違いないと解釈している。
ところが倭人伝の「邪馬壹国」を「邪馬臺国」に書き換えた根拠が十分に説明されていない。
結果的に「大和」につながったということで良しとしているのである。
古田は以上の結論は「二つの論証」を無視しているという。
「その第一は、三世紀に〈ヤマト〉と発音される国が近畿なり九州なりに存在したという証明。
その第二は、その〈ヤマト〉という国が倭人伝に記されている女王国と同一であるという証明。
この欠くべからざる存在証明も同一証明も二つとも飛びこえて、
〈ヤマトと読みたいから、そう読めるように原文を変えよう〉というのでは、
史料批判の根本を犯している。」と述べている。
さらにこの項の終盤で次のように述べている。
「もし逆に〈ヤマト〉と読まなくてもいいとしたら、つまり原文の「邪馬壹国」が正しかったら!
― そのときは、
これまで〈邪馬台国〉研究のどんな敵も味方も疑わなかった論争の共有の広場が、
土台ごと崩壊してゆくのではないか、と。