【清寧紀と欽明紀】

清寧紀四年正月条と欽明紀元年三月条には、蝦夷と隼人が帰順してきたことだけが記されている。

【敏達紀】

敏達紀には多少内容のある記事が記載されている。

「(敏達)十年春潤二月に、辺境で数千の蝦夷に対して攻撃を仕掛けた。この戦で捕らえた蝦夷の首領綾糟等を召して、詔して、思うに汝ら蝦夷は大足天皇(景行天皇)の御世に殺すべき者は斬し許すべき者は赦している。今朕は前例に従って元凶を殺そうと思う。と言った。綾糟等は恐れおののき子々孫々まで忠義を尽くすことを誓って許された。」

 蝦夷の首領綾糟の降伏譚である。敏達紀には綾糟が捕らえられた戦いの場所は記されていない。