【上毛野氏の伝承説話】

仁徳紀五十三年夏五月条と五十五年条に上毛野氏の伝承説話と思われる記事が記載されている。前者は朝貢を怠った新羅の四つの村を上毛野竹葉瀬の息子田道が率いた倭国軍が攻略し多数の捕虜を獲得して凱旋したという内容。後者は反抗する蝦夷を同じく田道が攻撃するが蝦夷の反撃により戦死、更に蝦夷が田道の墓を暴こうとすると墓の中から大蛇が出てきてほとんどの蝦夷が蛇の毒によって戦死したという説話である。新撰姓氏録に上毛野氏の始祖とされる上毛野竹葉瀬の息子の田道の内外の戦いにおける武勇伝であるが、国内の戦いの相手が蝦夷であり、強力な戦力をもっていたために田道は返り討ちに合って戦死してしまったが、伝承は田道を死んでもなお蝦夷を打ち破ったと英雄譚に作り上げている。