【総里程が一万二千余里は「実定値」か「誇大値」か】
総里程が一万二千余里が白鳥等が言うように「誇大値」なのかどうか。
古田は『三国志』の中の「里」表記を抜き出した。全部で159個。
このうち二つの定点が現在の地名に特定できてさらに現在の地図で距離がはっきり確認できるもののうちわかりやすいのは次の例である。
魏志三十東夷伝中の韓伝。
「韓は帯方の南にあり、東西海を以て限りと為し、南、倭と接す。方四千里なるべし。」
韓半島の南半分を占める「韓」の大きさが一辺が四千里の方形であるというのである。
韓半島の東西の距離が四千里ということになるので倭人伝の帯方郡から女王国までの一万二千余里とほぼ同じ里程で記されている。
韓伝が「韓」の面積を誇大に書く理由がないので「韓」の「方四千里」は実定値ということになる。
古田は三国志に記された里程が漢代のものと異なっていることを執拗に論じ、三国志内の里程基準がすべて一致していると主張している。
この後古田は三国志で使われている里程が周代に使用された短里(1里≒75m)であることを証明していくことになる。