【「壹」と「臺」】
三国志魏志東夷伝倭人条には邪馬台国とは記されていない。
一度登場するその国名は「邪馬壹国」。
ところが後漢書他には「邪馬臺国」と記されている。
「壹」と「臺」。
なぜ魏志倭人伝と後漢書他の記述の違いが生じているのだろうか。
従来の多くの研究者は本来「臺」とあるべきものを三国志の著者である陳寿かあるいは後の写本を行った人が書き間違えたとした。
古田は残存する金石文から「壹」と「臺」の字形を収集し古代においてはこの二つの字はそれほど似ていないことを確認し、三国志(紹煕本)における両字の全数調査に乗り出した。
三国志全体の中に「壹」が86個、「臺」が58個あった。
「壹」の全86個中倭人伝の「邪馬壹国」1例、「壹与」3例をのぞいた82例を検証し、「臺→壹」の誤記が生じていないことが確認された。
「臺」については魏志では天子の宮殿の固有名詞に使われている例が7例あるほか天子の住居を表す意味あるいはその意味から派生した使い方をされている。
「臺」の場合も「壹→臺」の誤記は起きていないことがわかった。
さらに現存する三国志の写本はすべて「邪馬壹国」となっていることも判明した。