『「邪馬台国」はなかった―解読された倭人伝の謎』出版までのいきさつ】
『「邪馬台国」はなかった―解読された倭人伝の謎』(以下、邪馬台国はなかった)は1971年朝日新聞社より出版された。
2010年ミネルヴァ書房から古田武彦古代史コレクション1として復刊された。その復刊本の「はしがき―復刊にあたって」に著者は次のように記している。
1969年9月古田の古代史に関する処女論文「邪馬壹国」が東大の『史学雑誌』に掲載された。古田はそれまでの親鸞研究で得た原則「原本を勝手に直すな。」を古代史研究においても踏襲した。原本が著者の自筆ではなく何回目の写本であったとしても、研究者が自分の考えで書き直してはいけない、自説に都合の良いように書き直して解釈すれば書き直した学者の数だけ新たな文面が出来上がってしまう、と考えた。
古田が『魏志東夷伝倭人条』(以下、魏志倭人伝あるいは倭人伝)を読んだ時に、この中に出てくる「邪馬壹国」は大丈夫か、と疑問に感じ、古代史の研究者たちの子の疑問をぶつけようとしたことが論文執筆の動機だったという。『史学雑誌』に掲載された論文は大反響となり読売新聞、朝日新聞の両全国紙が古田に出版を呼びかけた。ところが古田はなかなか首を縦に振ることをしなかった。それは倭人伝に記されている帯方郡から邪馬壹国までの部分部分の里程を足しても総里程に一致しなかったからだという。倭人伝の文面の中に部分部分の合計=総里程を解くカギを発見した古田は粘り強く出版を求めていた朝日新聞から「邪馬台国はなかった」を出版する決意をした。