【一年号当たりの平均年数】
一年号当たりの平均期間は、九州年号では5.7年、大宝から天応まで(以後便宜上奈良時代と記す)の年号では5.9年(桓武天皇の治世をすべて含めると7.0年)となっており、ほぼ同じである。
九州年号の時代の天皇(あるいは大王)の人数はわからないが、奈良時代には文武から桓武まで9代の天皇が即位している。

【奈良時代制定年号の改元理由】
奈良時代に制定された15の年号の改元理由を見てみよう。
最初の元号の「大宝」は対馬から貢金があったこと。同類の理由での改元は「和銅」、武蔵国秩父郡から和銅が献じられたことによる。
和銅改元の詔の中に、「天地之神乃顕奉瑞宝」とあり、武蔵国で発見された倭道を祥瑞ととらえていることがわかる。
したがって最初の元号となった大宝である対馬からの金も祥瑞ととらえたと考えてよいだろう。
二番目の元号「慶雲」、三番目の「和銅」以降も霊亀、養老、神亀、天平、天平感宝、天平勝宝、天平宝字、天平神護、神護景雲、宝亀、天応とここまではすべて祥瑞に結びついた年号となっていることがわかる。
この中で和銅は元明即位の翌年の正月、霊亀は元正即位と同時、神亀は聖武即位と同時、天平勝宝は孝謙即位と同時、天平神護は称徳重祚の翌年の正月、宝亀は光仁即位と同時に改元されている。9代の天皇のうち6代が即位と同時か翌年の正月に改元している。
残り3代の内称徳は重祚する前の孝謙時代の年号(天平宝字)が継続していたのであえて改元しなかった。
桓武は即位の4ヶ月前に譲位の意思を示した先代(光仁)が天応に改元していたのでしばらく使用したようだ。
例外は廃帝淳仁だが孝謙が淳仁による改元を許さなかったのではないかと岩波版補注は記している。
即位に合わせた改元も銅、亀、金、神霊などの祥瑞が出現したことと関連付けて改元していることがわかる。
奈良時代の改元は代始改元(即位と同時、あるいは翌年の正月に改元すること)と治世の途中に1度か2度祥瑞による改元を行っていることがわかる。

【九州年号では】
奈良時代の年号とほぼ同間隔で改元されている九州年号もおそらく同じようにトップの交代と治世の間の何らかのきっかけで1~2回改元されていたのではないだろうか。
改元によって世の中が改善されることを求めることは変わらないと思われるが、仏教色が強い名前が多いことは注目しなければならないだろう。
仏教的な感覚で祥瑞を求めていたとも考えられる。