【続日本紀の法興寺】
続日本紀では「法興寺」の名前は養老2年9月23日条に1回だけ出てくる。
「法興寺を新京に遷す。」
新京=平城京に移転した後は元興寺と改称される。
続日本紀岩波版補注には、
「元興寺は法興寺、大法興寺ともいい、飛鳥の地に建てられた寺院なので飛鳥寺ともいう。」
と記されている。
飛鳥に建立されたときに法号で法興寺と名付けられたが、飛鳥の地に建てられた(最初の?)寺だったので飛鳥寺ともよばれた、ということらしい。

【法興寺と元興寺、二つの法号をもつ飛鳥寺】
日本書紀には法興寺と元興寺がどちらも使われている。
もし同じ寺だとすると一つの寺に二つの法号があったことになる。
飛鳥寺を合わせると三つの名前で呼ばれた寺ということになる。

【日本書紀に元興寺は?】
法興寺と元興寺はどちらも飛鳥寺であるということになっているが、上記のように同時期に二つの法号を持つということは不審であり、日本書紀がどのような使い分けをしているかを見てみようと思う。
すでに法興寺の記事は全て見たので次は元興寺に関する記事を追ってみることにする。

To be continued