元岡・桑原遺跡は、九州大学工学部の移転先として
準備をしている段階で発見されたという。
周辺からいくつもの製鉄炉跡が見つかった。
8世紀代の鉄製錬遺構とされるが、
九州地区では6世紀ごろから韓鉄の生産が行われていたとも言われており、
この辺りの鉄生産もかなり早くから行われていたのではなかろうか。
元岡・桑原遺跡からは製鉄炉跡の他にも、
官衙跡、集落跡などが発見されているという。
正倉院所蔵の「筑前国嶋郡川邊里戸籍」は
大宝2年(702年)当時の川邊里地区
24家族の家族構成が記された貴重な戸籍である。
さらに昨年、元岡古墳群から紀年銘入象嵌太刀と
全長12cmの国内最大級の青銅製鈴(中に鉄玉が入っていて音が出る)が
出土している。
太刀には製作された年号と日付が干支で記載されているため
西暦570年製と確定することができる。
この当時から暦を使用していたことがわかる貴重な発見である。
また青銅製の鈴は馬に着ける装飾品で
この地域に全国でもトップクラスの豪族がいたことがうかがわれる。
そして今年6月に大宰府市で発掘された戸籍木簡にも
正倉院の戸籍と同じ「嶋」と「川邊里」という地名の記載があり、
同じ地域の戸籍であることがわかる。
この遺跡の今後のさらなる発掘が待たれるところであるが、
鉄生産拠点であること、
トップクラスの副葬品(象嵌入太刀、超大青銅製鈴)の存在、
早期から暦を使用していること、
最古の戸籍が発見されたこと、
これらは近畿地区にはないことであり、
5,6世紀はもちろんだが7世紀くらいまで
九州王朝が近畿王朝を凌ぐ勢力として
存在していた傍証となるのではないだろうか。