応神紀十三年条に記される髪長姫の物語は、
日本書紀の編纂を藤原不比等が主導したことを示す有力な傍証となる。
日本書紀十一年是歳条で,応神帝は
日向国の諸縣君牛諸井に髪長姫と呼ばれる
「国色之秀者(かほすぐれたるひと)」がいるという評判を聞く。
十三年春三月日向国に使者を派遣して、
髪長姫を召上げることを告げさせる。
秋九月に日向からやってきた髪長姫は
桑津邑(大阪市東住吉区桑津町)に滞在した。
ここで大鷦鷯尊が髪長姫に一目惚れしてしまう。
応神帝は皇子が髪長姫に恋心を抱いていることを知り、
自分の側におくことをあきらめて二人を結婚させることにする。
古事記でも応神記にほぼ同様な説話が記されている。
古事記では難波津に滞在している髪長姫に
恋心を抱いた大雀命(=大鷦鷯尊)は
建内宿禰を通じて髪長姫を自分に賜るよう頼み込む。
この説話の中に出てくる四つの歌謡は、
記紀共にほぼ同一となっている。
このことはどちらかで創作された物語を
他方がそのまま採用したことを表しているといえるだろう。
日本書紀には髪長姫譲渡物語の後、
十三年秋九月条の末尾に、
「一に云はく、」という形式で記紀の髪長姫説話の原型となったと思われる
淡路国風土記に残されている「髪長姫献上説話」が記載されている。
日向国の諸縣君牛が年老いて朝廷に仕えることができなくなった代償に、
(美人の誉れの高い)娘の髪長姫を
天皇に献上するために上京しようとしていた。
途上播磨に至った時に、
たまたま淡路島で狩猟していた
天皇の目に留まるというストーリーになっている。
こちらの話では天皇は特定されていない。
記紀の髪長姫説話は
日向国の諸型君牛の髪長姫献上説話をもとに
作り変えられたものだろう。
日本書紀はこのように意図的な作文を行った時に、
原典をさりげなく紹介することがある。
実際の書いている史官にも歴史家としてのプライドがあったため、
さりげなくタネ明かしをしているのかもしれない。
上記のように記紀が伝承されていた原典を改ざんしたとすらならば、
何らかの明確な目的があったことになる。
当然その目的は記紀が編纂された
8世紀初頭の近畿天皇家周辺に求められることになるだろう。
余談となるが、
ここでは風土記に残された髪長姫説話を
史実だといっているわけではない。
原型となった説話は、
美しい娘を天皇に献上することを臣下の美談として描き、
宮廷に美女が集まりやすくなるように作られており、
支配者に都合のよい仕立てになっている。
 
(To be continued)