宮子姫伝説
もう一人の髪長姫である宮子姫については
梅原猛著「海神(あま)と天皇」に詳しく記されている。
同書に従って宮子姫伝説のスタディをしてみようと思う。
宮子が生まれ育った「九海士(くあま)の里」は、
神功皇后が凱旋の折に、
随行した兵士9人を日高の水門に残したことに始まり、
海士となった9人の元兵士の氏神が八幡宮だったという。
その八幡宮については、
八幡神は古い神で決して応神帝やその母・神功皇后がそのはじめではない。
「我々の国において、異神の信仰を携へ歩いた事は幾度であるか知らない。
古く常世神、八幡神の如きが見えるのは、神道の上にも、
段々の変遷増加のあったことを示しているのだ。」(折口信夫「相聞の発達」)
八幡の神は海と関係が深い。常世からやってきた。
常世とは向こう側の世界である。
人々は「富」というものはあちら側の世界からやってくるものと信じていた。
八幡信仰はそういう人々の願いを担って成長している。
 
宮子は九海士の里の漁師(早鷹、渚夫妻)の娘だった。
夫妻は40歳過ぎても子宝に恵まれなかったが、
八幡宮にひたすら祈って、白鳳八年(679年)女の子を授かった。
八幡宮から授かったので宮となずけた。
宮は元気に育ち器量も良かったが髪の毛が一本も生えなかった。
ある年、九海士の里は不漁が続き、海からは不思議な光が出ていた。
宮の母渚は宮の髪が生えないのは前世の報いだと思っていたので、
村のためだと思い海に入り光源に向って潜った。
光の正体は黄金仏だった。
渚は黄金仏を持ち帰り庵に納めて大切に祀った。
海から光は消え村は大漁続きとなった。
黄金仏は渚の夢に現れて、
「補陀落浄土の観世音なり」と仰せられた。
渚が夢からさめると宮には美しい黒髪が生えていた。
そして美しい宮は藤原不比等の目に留まり京へ行き、
文武帝の夫人になり首皇子を生むことになる。
望郷の念が消えない宮は文武帝に頼んで、
故郷の九海士の里に道成寺を建立してもらう。
道成寺には今でも「文武天皇勅願寺」の碑が建っているという。
その後、道成寺には有名な「安珍・清姫伝説」が生まれる。