髪長姫と言われた宮子姫
文武帝の妃で聖武帝の母である宮子姫。
藤原不比等と賀茂朝臣比売の間に生まれた子と
続日本紀に書かれている。
皇室以外の出身者で初めて天皇の母となった人物としても知られる。
 
和歌山県日高郡の天音山道成寺には宮子姫の伝説が残されている。
昔から伝承されてきたものを,
江戸時代の文政4年(1821年)に,
紀州藩の儒者原田徳照が文章化し、
賄方書役の西村吉十郎が文字を書き、
画工の塩路鶴堂が絵を書いて絵巻物になっている.
 
ストーリーの概要は以下の通り。
 
「藤原京の文武帝の時代に紀伊国日高郡に海士の9人兄弟がいた。
不思議なことにそばの海(九海士の浦)で海底から虹のような光が見えた。
人々はそのあやしい光を恐れたが、
9人兄弟のうちのひとり「宮」という名の少女が
海に飛び込み潜って光明を発する観音像を拾い上げた。
兄弟は庵を造って観音像を納めて丁寧にお祀りしたという。
その頃、藤原京の宮中では南門の前に雀が巣を作っていたが、
藤原不比等が巣の中に一本の一丈余りの長い髪の毛を見つけた。
この長い髪の持ち主を探しだすように命じた。
紀伊国の日高にその髪の持ち主がいることがわかり、
粟田真人を遣いに出した。
真人は毎日観音像を拝む髪の長い少女(「宮」)に会い、参内するよう求めた。
少女は兄弟の許可を得て真人と共に都へ上ったという。
参内した後も残してきた観音様のことが気になっており、
不比等にお願いして観音像を祀る寺を故郷に造ってもらった。
それが現在の道成寺である。」
 
以上が宮子姫の参内と「道成寺」建立の伝説の概略である。
今でも道成寺には「文武天皇勅願所」という碑が建っているという。
 
藤原不比等は紀伊国日高郡の海士の髪の長い少女を召上げて、
文武帝の妃とした。
その少女は聖武帝の母となった髪長姫=宮子姫のこと、
と考えると道成寺に伝わる伝説は現実性を帯びた話になってくる。
 
(To be continued)